私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。
「知ろう!考えよう!障害のこと」
平成29年2月3日(金)18:30~20:30,@北九州市立商工貿易会館,「知ろう!考えよう!障害のこと」に参加しました。
内容は,2部構成。第1部は,基調講演として,毎日新聞社論説委員野澤和弘氏による,「障害と障害者差別解消法~障害のある人もない人も暮らしやすい街に~」というお話をいただきました。第2部は,野澤氏がとりまとめる東京大学の自主ゼミ「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ生のお2人と野澤氏の対談が行われました。
とても内容の濃い2時間でしたが,私が印象に残ったのは,とにかく,最後の質疑応答でした。質問者から,「結局,障害とはなんだと考えているか。」という質問がありました。自らも精神障害当事者であると語る女子学生の回答は,以下のとおりです。
私が,障害とは何かという問いに答えるとき,いつも,2つの回答を用意している。 1つ目は,障害は「グラデーション」であるということ。健常者と障害者,2つはまるで別のもののように語られる。国の政策上,なにをどこまで,税金を投じて法的に支援するか,線引きが必要ということはわかる。でも,本来,2つははっきり区別できないもののはずだ。人は,生きていれば,それぞれ,生きづらさを感じているもの。生きづらさの大きさに違いがあったり,種類に違いがあったり,ある特定の観点で,生きづらさが大きいと判断されている者を,障害者と呼んでいるに過ぎない。障害というのは,本来,境界のある別のものではなく,連続性のあるグラデーションなのだ。2つ目は,障害は「物語」であるということ。障害を「個性」という形で論じる向きがあるが,私は,そのような呼び方は好きではない。個性というと,なんだか自分の力で変えられるようなニュアンスが感じられる。ネーミングを前向きなものにすればよいという問題ではない。むしろ,障害は,「物語」というべき。ある人は,足が動かないという物語の上を歩んでいる。ある人は,心になんだか生き苦しさを感じているという物語の上を歩んでいる。人それぞれ,障害をもつ人もそうでない人も,それぞれの物語を歩んでいるに過ぎない。
なんとも,考えさせられるコメントでした。みなさま,いかがお感じになられるでしょうか。
法律のブログなので,少し,障害者差別解消法に関しても補足しておきたいと思います。この法律は,障害者に対する差別的取扱を禁止するとともに,行政や事業主に合理的配慮を求めるという特徴があります。ただ,合理的配慮も,事業主に過度な負担を求めるのはいけないということになっています。しかし,これには続きがあり,「障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針」では,さらに,合理的配慮について「義務」とまではいえない場合も,「建設的対話」による解決を図るようつとめるべきという趣旨のことが記載されています。
1つ例を挙げます。学校で,体の悪い障害の方が,電気のスイッチが高すぎて届かない,全部スイッチの場所を下げてくれと要求したとします。しかし,これを全部やろうとすると,莫大なお金がかかってしまいます。学校に過度な負担を課すことになるので,合理的配慮として工事する「義務」までは課されなさそうです。しかし,学校は,その人の言いたいことはわかったということで,教職員や学生等に周知徹底をしたそうです。すると,その人にとって,とても望ましい方向で解決ができるようになりました。なぜなら,その人は,スイッチのことだけで困っていたわけではないからです。その人がスイッチを押せずに困っていれば,気づいた人が助けてあげられるし,図書館で高いところの本が取れなければ,気づいた人が助けてあげられる。工事をするだけであれば,莫大なお金を投じても,スイッチの件以外は解決しなかったでしょう。このように,「建設的対話」が,差別解消法の理念を実現する上で,とても重要になってきます。
野澤氏は,このようなお話をしており,なるほどと思ったところでした。
ここで登場した「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ 著・野澤和弘編著「障害者のリアル×東大生のリアル」も購入。生の障害者に触れた東大生の生の声が,それこそ生生しく記されており,大変勉強になりました。おすすめの1冊です。
障害者分野は,私の,おおいに関心をもっている分野です。これからも学び続けていこうと思います。