私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。
菜根譚
「菜根譚」を読みました。中国の古典で,前集222条は,処世訓を集めたもの。後集135条は,世俗から離れた達人の楽しみを説くものです。特に,前集においては,仕事にも私生活に通じる教訓が多く,度々見返したいなと思いました。初読で特に気になった10の処世訓について,記載しておきたいと思います。
7「つよい酒やコッテリした料理に本物の味わいはない。本物の味はアッサリの奥にある。派手な才能の持ち主が達人とはかぎらない。達人は常に平凡。「平凡」の奥にある「非凡」こそ達人の境地である。」
38「魔性のものを降伏させるまえに,まずは自分の心を降伏させよ。自分に打ち克てば,どんな悪魔も退散する。横暴なものを制御するまえに,まず自分の気持ちを制御せよ。平静な気持ちには外からの横暴は侵入できない。」
42「彼が富を振りかざしてくるなら,われは「仁」で対抗し,権力を振りかざすなら「義」で立ち向かう。君子は支配者にまるめこまれることはない。強い意志と志をもてば,天地の神でもその自由を奪えない。」
51「人に施した恩恵は忘れたほうがよいが,人にかけた迷惑への償いを忘れてはならない。人から受けた恩恵に対して恩返しを忘れてはならないが,人に対する恨みならばサッパリ忘れたほうがよい。」
90「天が降伏を授けてくれないなら,私は徳を磨いて幸福を得る。天が苦役で酷使するなら,私は心を平安にして苦痛を癒す。天が苦境で道を阻んでも,私はわが道を貫きとおす。こうすれば,天でさえ私の生き方をどうにもできない。」
102「文章が最高の境地になると,奇抜なものはなく的確な表現だけが残っている。人格が最高の境地になると,奇抜なものはなくありのままに生きているだけだ。」
142「君子は,たとえ貧乏で経済面で救うことはできなくても,悩み苦しんでいる者に出会えば,一言の助言で苦境から救い出すことができる。これもまた,計り知れない善行である。」
146「自ら反省できる者は,すべての出来事が良薬となる。責任転嫁する者は,その思いが凶器となり自らを傷つける。前者は善行への道をひらき,後者は悪事の源となる。両者には天と地ほどの差がひらく。
165「他人の過ちは寛大に許すべきでが,自分の過ちにはあくまで厳しくありたい。自分の苦しみには耐え忍ぶべきだが,他人の苦境を見逃してはならない。」
214「真剣に書物を読むなら,喜びで小躍りしたくなるまで読みこめ。それでこそ文字面にとらわれずに神髄を摑める。真剣に物事を観察するなら,精神がそれと一体になるまで観察し尽くせ。それでこそ表面に惑わされずに真相を悟れる。」