私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。

ジャスティス(アル・パチーノ主演の法廷ドラマ)

これまた古い映画ですが,アル・パチーノ主演,「ジャスティス」(1979年)を観ました。若干ネタバレになりますが,ネタバレしないとコメントがかけませんのでご容赦ください。

主人公の弁護士アーサー(アル・パチーノ)は,厳格な法の遵守ばかりを旨とする裁判官フレミングと何度も衝突する熱血漢。日々,信条に従う弁護活動に努めていた最中,くだんのフレミング判事が告訴される。さまざまな思惑がうごめくなか,弁護を引き受けることになったアーサーは,ラストシーン,正義,倫理観との戦いを強いられる。

ラスト近く,ある情報筋から仕入れた情報から,アーサーは,フレミングの有罪を確信,フレミング自身も否定しない。アーサーは,弁護人としての立場と,被害者の手前における,正義や倫理観と戦うことになるが,結局,弁護人として,被告人フレミングの有罪冒陳を行うという決断をした,,というものです。

映画を観終わって,いろいろとレビューを観ていると,それなりに好意的な意見もあって,確かに派手なシーンがないわりに(しかし,ラストの冒陳を含め,印象的なシーンは多数。),ラストは予想外の展開(てっきり,はじめは敵対していた判事と弁護人の溝が近まり,ラストは無罪を勝ち取るのかと思っていた。)であり,とても印象的な物語ではありましたが,弁護士としてはどうかと思いました。

アメリカと日本ではまた違うかもしれませんが,日本では,弁護士職務基本規定第46条・「弁護士は,被疑者及び被告人の防御権が保障されていることに鑑み,その権利及び利益を擁護するため,最善の弁護活動に努める。」(最善弁護義務)とされています。

被告人が(仮に裏では犯行を否定していなくとも)裁判上は無罪主張をしようとしている場合に,冒頭陳述で,「被告人は有罪」と述べたり,それだけでなく「検察官は被告人を有罪にできない,なぜなら私が有罪にするからだ!」などと述べるのは,どう考えても弁護人としては許されない行為だと思います。

もちろん,葛藤の上,許されない行為を乗り越え,被害者のために有罪冒陳をするという選択をしたというところに,映画としてのドラマ性があるのかもしれませんが,実際,これを日本でやったら,懲戒は間違いないでしょうね…

ドラマを純粋に楽しめない,無粋な弁護士による無粋なコメントかもしれませんが,今回はコメントせずにはいられず,筆をとった次第です。

刑事事件の難しさを,改めて考えさせられたような気がした作品ではありました。法科大学院の法曹倫理などで教材にしたら面白いのではないかと思います。


ブロガー: 弁護士西村幸太郎

豊前の弁護士です。