私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。
いままでの投稿: 2019年
「万引き家族」
リリーフランキー主演,「万引き家族」を観ました。
感想は…。深すぎて,ヨクワカラナイ。
いつも笑いの絶えない家族は,しかし老婆の年金と万引きのお金で生計を立てていて,物語後半では,まったく血のつながりのない疑似家族だったことも判明していきます。物語前半で一緒に連れて帰ったじゅりさんは,DV被害を受けているということで,ここでも複雑な家庭環境が見て取れる。家族とは何かという深遠なテーマに挑み,幸せとは,生きるとはといった内容も描きたかったのかなと思います。
生活の描写は,生々しいというか,観ていて気持ちのいいものではないですが,リアリティある緻密な描写がなされており,見ごたえがありました。これを見るだけでも一見の価値あり。この映画で,どんなことを投げかけたかったのかは,鑑賞者によってとらえ方が違うかもしれませんから,議論の場があるとよいですね。
正直なところ,おすすめはできませんが,家族の形を改めて考えさせられる作品でした。
「相続道の歩き方」
弁護士 中村真先生 「相続道の歩き方」
特徴的なイラストで有名な,現役の弁護士による,相続の解説書です。たくさんのイラストに目を奪われ,それだけでも楽しめるのですが,本文の内容は,かなり高度で細かな内容も記述されています。
全体的な感想としては,民法の教科書的な並びでもなく,実務のフローにあわせた流れというわけでもなく,独自の視点で相続法を整理して記述したもののように思われ,まずはその体系的描写が斬新だと思いました。内容的には,もちろん実務的に役立つ描写は満載なのですが,どちらかというと概念整理,概念の深掘りなどをしっかりしている書籍ではないかと思われ,改めて頭の中を整理するのに最適な書籍ではないかと思われました。
「特定遺贈と包括遺贈を区別する必要性はどこにあるか」(包括遺贈の場合,相続人でない受遺者も相続人と同じ扱いを受け(民法990条),包括遺贈の放棄も相続放棄の手続に従うなどしなければならない。),「法定相続情報証明制度の活用」,「相続で引き継がれる財産には,財産法上の法的地位なども含まれる」(本人の無権代理人相続と,無権代理人の本人相続),「生命保険金の受領は,判例上特別受益に該当する場合があるが,その場合に,持戻しの範囲をどう考えるかは別の問題」(被相続人が払った保険料額の総額説,被相続人死亡時の解約返戻金相当額説,総保険料額に対する被相続人が死亡時に支払った保険料総額の割合を保険金額に乗じた額説など。),「相続前における遺留分の放棄は,家裁の許可の上で一応認められているが,裁判例上,遺留分放棄者が,遺留分権利者の自由な意思に基づくものであるかどうか,その理由が合理性もしくは田労政,必要性ないし代償性を具備しているかどうかを考慮すべきとされている。」………
などなど,いろいろと知識・理解を深めていくことが出来ました。
入門書としては,やや難しいかな?という気もしますが,イラストの楽しさと相俟って,サクサク読めるだろうと思いますので,幅広い層の方におすすめの一冊です。
「死刑基準」
水谷俊之監督「死刑基準」
かつての同級生3人が,被害者遺族,検察官,弁護人として,ある裁判で衝突。その裁判は,被害者遺族の妻を殺されたというもの。被害者遺族(弁護士)は,それまで「ミスター死刑廃止」とまで言われていたのに,加害者とされる男に死刑を求める。親友(被害者遺族)が失意の中,弁護人として被告人を弁護できるか。捜査過程に疑問を呈しながらも組織の論理につぶされそうになる検察官はどうするのか。三者三様の人間模様を描きながら,死刑廃止の是非について深く考えさせる内容。
「死刑基準」というタイトルですが,内容的には「死刑廃止の是非」です。永山事件判決の基準のように,どのような場合に死刑をくだすかということを問うものではありません。多少ミスリーディングかなと思いますが,「死刑基準」というのは,主人公の1人が研究のテーマにしていた内容をそのまま引用したものです。
真に被害者の痛みを知らずに,死刑廃止の是非については議論できないというのも正論だと思いますし,被害者保護の法整備と死刑はまた別問題という意見も,そういった側面はあると思います。最後に,弁護人は,真犯人への証人尋問の際,「死刑は,国家が報復を手伝うものではない。しかし,被害者遺族の痛みをやわらげるには,加害者の死をもってしかなし得ない場合もあるから,死刑は存置されているのではないか。」などと,初めて私見を述べ,物語は幕を閉じますが,これも1つの考えに過ぎませんから,皆さんで議論するようにと投げかけているのでしょうね。
全編,明るいドラマではありませんが,法廷ドラマとして見ごたえは十分であり,おすすめです。
「税のタブー」
三木義一「税のタブー」
なかなか面白かったです。切り口が斬新で,「宗教法人はなぜ非課税なのか?」「暴力団の上納金には課税できるのか?」「政治団体と税」など,これまであまり語られてこなかった税の話が,読みやすく,それでいて基礎から説き起こす充実した内容で解説されています。
特に,暴力団の上納金については,税務署が暴力団に介入して調査しづらいという実際的な話だけではなく,根強い「暴力団の上納金=サークルの会費」論にみる理論的問題の壁が大きいことがよくわかりました。
ほか,印象的だったのは,印紙税の話でした。印紙税という制度は,明治に作られた制度で,農民の納税に頼るだけでなく,商工業者にも負担してもらうために導入した制度だそうですが,課税の範囲が不明確で,前々から納税者とトラブルが絶えず,法改正後も同様の状態が続いているそうです。著者は,不合理な制度でなくすべきだと述べています。その不合理さは,いくつかの新聞記事を取り上げて紹介していますが,なるほどと思わせるものです。ここまでダイレクトに,印紙税はいらないと述べる本も珍しいのではないでしょうか。
宗教法人と税,政治団体と税,暴力団の上納金と税,必要経費,交際費の範囲,印紙税,固定資産税,酒の販売と免許,特別措置法,源泉徴収,国境を越えた場合の税など,興味深いさまざまなテーマを取り扱っており,平易な文章で基礎から説き起こして学べる,興味深い一冊です。
税金は,社会生活を営む上で支払うべき会費などと言われることもありますが,その会費のシステムがどうなっているのか,身近で興味があると思いますから,どんな層の方でも発見がある本ではないかと思います。おすすめです。
九州大学法科大学院生訪問
本日,令和元年9月1日,九州大学の法科大学院(ロースクール)の生徒7名と,私の恩師である新井先生(広島大学法科大学院)により,幣所をご訪問いただきました。
事務所見学,公設関係の制度の説明,幣所の概要・説明,質疑応答など,充実した議論ができたように思います。
その後は,マルティーニで懇親を深めながら,さらに質疑応答をしたり,普段の学習に関する話などを深めていきました。
自分が学生の頃を思い出しながら,懐かしい気持ちにもなりました。新井先生とお話しできて,またまた公法系を勉強していこうという意欲もわきました。
幣所では,希望があれば,事務所見学等,いつでも受け付けておりますので,お気軽にご連絡ください。これまで,さまざまな人にお世話になってきました。少しでも後進に還元出来たら幸いです。
写真を撮り損ねてしまったので,掲載できないのが残念です。
皆さま,ご足労いただきまして,ありがとうございました。
相続に特化したページを公開しました。
先般,相続に特化したページを公開しました。
家事事件は一般的に増加傾向と言われますが,幣所の実感としても,特にここ最近,相続に関するご相談が顕著に増加しております。
ご依頼者様への参考にもしていただけると思いますし,同業者に参考にしていただくことも可能な水準で,記事を執筆しているつもりです。
ご相談のアクセスを容易にするための取り組みの一環ではありますが,今回は,あえて相談地域を限定する形でアンケート機能をつけました。地元地域のために尽力する弁護士ですので,他の地域の弁護士が十分対応できる場合は,私が対応する必要はないだろうという考えです。
今後とも,どうぞよろしくお願いいたします。
三度目の殺人
福山雅治主演,映画「三度目の殺人」。
法廷サスペンスかと思って観ましたが,むしろ大事な被告人質問が一部しか映されないなど,法廷の描写は一部であって,淡々と進む人間ドラマが大半でした。深いような気もしますし,ただ,淡々と進むストーリーはつまらなく映る人も多いだろうなという印象。後味はあまりよくない映画です。
全編で描かれているのは,ある殺人事件です。被疑者は身柄拘束され,事実を認めています。前科あり。弁護側は,戦術として,減軽酌量を求めていこうとしますが,調査を進めていく中,新たにわかった事実から,「真実はこうでないか」と思われるストーリーが次々にあらわれ,最後には被告人自身が犯人性を否認する。被告人と被害者の子の間に接点があり,被害者の子にはある秘密があることがわかる。「真実はこうでないか」とさまざまな想像を掻き立てられますが,結局,検察官の起訴どおり,被告人は有罪判決となる。そんなストーリーです。
まるで羅生門のように,事実の多面性を扱った作品。弁護人は,結局本当のことはわからないのだから,被疑者に有利になるようにすればいいと述べますが,一方で,動機すら二転三転するなかで,真実を追い求めずしてよいのかというような葛藤にもさいなまれます(真実はわからないと言っていた主任弁護人自身が,最後は真実を追い求めているように見えた。)。裁判がある意味,「阿吽の呼吸」で進んでいくさまも描いており,忙しすぎる裁判官,被告人ではなく裁判員の方を向いている裁判員裁判など,日本の裁判制度の問題点も浮き彫りにするかのようです。
スカッとしたいというような方にはおすすめできませんが,ゆっくりじっくり見て,瞑想にふけりたいという方にはおすすめの一作です。
葬儀費用の取扱いについて
相続のご相談の際,必ずと言ってよいほど出てくるのが,「葬儀費用を●●が出した,出してない」という問題です。少しコメントしてみます。
まず,法理論的には,厳密に言うと,葬儀費用の問題は,相続・遺産分割とは別の問題ということに注意してください。相続というのは,被相続人の死亡により発生するものですが,葬儀費用は,被相続人死亡後に発生するもので,相続債務ではありません。さらに,葬儀会社との関係では,契約をした人が債務を負担します。問題は,「最終的な」費用負担者は誰かということです。
喪主が負担すべきという説,相続人が法定相続分で負担すべきという説など,複数の説が対立しており,確定した最高裁判例はありません。 近時は喪主負担説が強くなっていると言われますが,経験上,遺産分割調停では,法定相続分で負担するという処理もよく見られます。遺産分割で,葬儀費用を法定相続分で負担すると不公平だと感じられるような分け方をした際に,端的にいうと長男が優遇して遺産をもらっているような場合に,香典ももらってるんだから,葬儀費用ぐらい負担してよということで,争いになることが多いから,喪主(多くは長男などでしょう。)負担とされることが多いのかもしれませんね。
以前,私のところに,セカンドオピニオンを求めて相談に来られた方から,「前の弁護士から,葬儀費用は喪主が負担すると決まってると言われた。」と述べていた方がいましたが,決まっているわけではないですし,個別事案に応じて妥当な解決を図っているというのが実情ではないでしょうか。
香典は,被相続人の死後に,遺族へ贈与されたものと理解しますが,通常,香典から香典返しを差し引いた金額を,葬儀費用に充当するということになるでしょう。
(葬儀費用-香典+香典返し)÷相続分=各人の負担額
という形で,解決を図っても良いのではないでしょうか(特に調停)。
負担するのはよいが,金額が高すぎるというときもあります。妥当な金額として合意できる範囲で相続人で負担して,それを超える部分は,葬儀を契約した人(喪主)が負担するという解決も,一考ですね。
なお,ここでいう葬儀費用とは,遺体搬送費・葬儀会社への支払・葬儀場への賃料・お布施・火葬費用などです。これらに付随する通夜・告別式の接待用飲食代,初七日の費用,四十九日の費用は微妙で,葬儀費用に含めるかどうか争いがあります。
葬儀後の弔問客の接待費用,一周忌,三周忌,墓地の取得費,仏壇購入費などは,祭祀承継者としての義務なので,葬儀費用ではありません。
領収書のないものはどうしましょうか。あるに越したことはないですが,こと葬儀に関して言うと,性質上,慣習上,そもそも領収書の発行がないということも結構あります。裁判例も,そのような実情を踏まえ,葬儀の実施そのものを疑うなど特段の事情がない限り,領収書などの資料がなかったとしても,葬儀を実施する以上,社会通念に照らし相当な額が経費として生じたことが推認されるとしたものがあります(大阪高判H27.7.9)。
遺体・遺骨は,葬儀とはまた別に考え,祭祀財産に準じて扱い,祭祀承継者が引き継ぐことになるでしょう。
祭祀承継者をどのように決めるか。被相続人の指定があればその指定に従います。指定がなければ監修に従うとされてますが,実際は慣習に従って定められた審判例はほとんどないようです。最終的には審判で祭祀承継者を決めますが,その際は,①被相続人との親密性と,②被相続人の生前の意思を判断基準にします。
紛争の予防についてですが,祭祀承継者は,遺言で指定ができますので,遺言を作成することを検討してみましょう。
葬儀費用については,保険や共済で,死後の葬儀費用に相当する金員を喪主にすぐに一括で支払うという内容の商品があるようで,実際に,依頼者のなかには,複数名,これを利用して備えている方がおられました。
葬儀費用の対策(?)としてよく言われるのが,「死亡後に凍結される前に引き出せ!」というテクニック(?)ですが,これも使途不明金問題等を誘発する危険がありますから,保険や共済を利用する方法がおすすめですね。
相続の相談が多いことから,近日中,相続に特化したHPを作成する予定です。こちらもご参照ください。
99.9%は仮説~思い込みで判断しないための発想法~
本日,金陵同窓会の定期総会・記念講演がありました。 主に,育徳館高校・中学のOBで構成される同窓会のようです。京築地域の名門ですね。
長崎出身のお前は縁もゆかりもないだろうと言われそうですが,私も毎年,協賛させていただいているのです。ご招待いただきましたので,記念講演だけですが,拝聴させていただきました。
講演者は,サイエンス作家の竹内薫氏。暗記型ではなく探求型の教育を手掛けているとのことでした。お題は,表題のとおり。
どんな話が飛び出すのか?と思いながら聞いていましたが,AI時代,これからヒトとAIがどのように歩んでいくか(仮説1:ターミネーターの世界。仮説2:鉄腕アトムの世界),という話から始まり,AIの特徴である自動化=最適化=思い込み?について実例・クイズをもとに検討し,柔軟で,手を変え品を変え工夫してできるよう,これからの教育を考えていくべきという内容で締めくくられていました。
大変に興味深く,私がまとめるのはおこがましいので,印象的だった部分だけ記載しますが,AIは「暗記」は得意だけど「常識」がなく,文脈や空気を読み取れないという話,AIはソーゾー力(想像力,創造力)が欠けているゾンビであるという話など,具体的な話を通して,「人間にしかできないこと」を考え,これからは,人工知能と人間のすみわけが大事になってくるということでした。
最後の質問では,自動運転の可能性についても議論がありました。自動運転においても,どこからどこまでがAIの領域で,どこから人の領域なのかのすみわけを考えることが大事とのことです。危険を察知してアラームを鳴らすところまでが機械の役割で,その後の判断・動作は人間の役割?それとも,機械の役割はもっと狭い?あまりに機械に頼って運転していると,人間の注意力が落ちていくため,どこまで任せるのか。実際に事故が生じたときの責任としても,機械のせい?ヒトのせい?…などなど,交通事故を取り扱う上でも,将来生じてくる論点の解決のヒントを得たような気がしました(あくまでとっかかりのレベルですが。)。
私の母校のうち,小学校は,既に建物がなくなってしまっています。連綿と同窓会が続いているのは素晴らしいことだと思います。貴重な機会をいただき,ありがとうございました。
「刑事弁護人」
亀石倫子(みちこ)先生。先般,GPSを利用した捜査手法について,画期的な最高裁判決を勝ち取った,有名な弁護士です。他,医業の中にタトゥーを彫る行為が含まれるかを問う裁判など,耳目を集める刑事裁判を担当しています。
GPSの事件は,みな,経験年数10年未満の6人が,法科大学院で学んだことを活かしながら,基礎から立論して対応し,大法廷判決で,画期的な違憲判決を勝ち取っています。
その舞台裏と言いますか,受任から大法廷弁論・判決まで,詳細に描かれており,大変勉強になりました。
もちろん,弁護活動というのは,事件によって人によって,1つ1つ異なるものです。一般的にどういうことに気を付け,どんな法的問題があり,どのように対応するかということについては,文献等もありますが,最初から最後まで,事件をトレースするということは,実はめったにありません。守秘義務もあるので,そう容易に開示することもできないのです。その点,(多少の脚色・表現等の問題はあるかもしれませんが)最初から最後まで,1人の弁護人の弁護活動をトレースして学ぶことができるというのは,貴重な機会です。弁護士としては,ぜひ,参考にさせていただき,今後の糧にしていきたいです。
さて,依頼者とのコミュニケーション,新たな論点に挑むために多数の論文を読み漁ったこと,学者の意見書を求めたこと,一審から後退した控訴審に対する憤怒,上告するにあたっての書記官とのやり取り,元裁判官のコメント,実際の弁論の様子など,さまざま参考になることがありました。なかでも,大法廷の最高裁の弁論など,めったに経験できるものでもないですし,非常に興味深かったです。弁論で「警察官が常時くっついている」と例えてGPSの違法性を論じたことについても,直前まで粘って粘って,直前でひらめいたアイデアを基にしているなど,やはり諦めないで取り組むことが必要なんだなと感じました。
ロースクール出身の6人が,いわゆる若手だけの弁護団で,判決を勝ち取ったというのも,励みになります。
このような貴重な本は,大切にしていきたいですね。読み物としても十分に面白いですので,一般の方にもおすすめです。