私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。
タグ付け: 和解
紛争解決における「和解」との向き合い方
豊前地域に限られないとは思いますが,みなさん,紛争は一刻も早く解決したいと望むものだと思います。その際,和解というのは,非常に有効な手段になります。一方で,本来法定されている権利義務を不当に捻じ曲げることになりはしないかという点は,いつも気を付けています。Win-Winの解決ができるときはこれを目指し,ここまできれいに解決できない時も,当事者の望みをかなえ,かつ,両者納得のいく解決を目指します。
ところで,「和解」というと,「仲直り」というニュアンスでとらえられ,拒否反応を示す方もおられます。しかし,和解は,「紛争解決(終了)方法の1つ」に過ぎず,いつもそのように説明しています。要は,紛争の解決の仕方として,(訴訟という手段もあるけど,)和解という手段もありますよとのことです。和解は,「落としどころ」とも違うと思います。この言葉は,なんだか判断者に「落とされている」という感覚を与え,受けが悪いようです。私は,落としどころという言葉は使わないようにしています。和解は,「互譲」で成立するということは否定できませんが,「妥協」しましょうというと,これまた依頼者には受けが悪いようです。解決に向けた「歩み寄り」をするくらいの感覚でのぞむのがよいのかなと思います。
和解を目指すうえでは,その事件の問題の核心,その事件で当事者が最も問題にしている点を的確に捉え,これにメスを入れることが重要です。ここに一定の解がないと,到底当事者の納得が得られないと思います。そのためにも,当事者の話をよく聞きます。これが,言うは易く,行うは難しで,非常に難しい。日々,研鑽を積まねばと思っています。もちろん,大きい問題を解決し,実際に和解に向かう際は,細かな点にも配慮しながら,和解案を練っていきます。いわゆる付随的な条項で,和解が流れてしまったという事態は避けたいものです。
こうして和解を目指すうえでは,和解のメリットをよく理解しておく必要があります。和解は,訴訟(判決)と違い,①All or Nothingではなく,権利に相応する解決が得られる,②多様な出口(解決方法)がある,③請求原因,抗弁,再抗弁などという訴訟手続上の制約にしばられない判断ができる,④事情にも配慮できる,⑤三段論法にこだわらず,論理性以外の要素も取り込める,⑥一見偶然的に生じた事象なども考慮できる(ユングのいう「共時性の原理」),⑦顕在的な事情だけでなく,無意識化又は潜在的な事情にも配慮できる,⑧必ずしも請求権の有無にとらわれない,などといった,たくさんのメリットがあります。
では,なにを物差しにして,和解を目指したらよいか。ⅰ)成文法,ⅱ)判例,ⅲ)裁判上の和解・調停・仲裁の解決例,ⅳ)学説,ⅴ)諸科学の成果,ⅵ)慣習,ⅶ)道徳,ⅷ)自然法,ⅸ)生きた法(校則など),ⅹ)経済的合理性,ⅺ)ゲーム理論,,,,,などなど,いろいろとありますが,ときには,自ら新しく発見・想像した規範を用いることもあります。地方で難しいのは,ⅵ)慣習との向き合い方だと思います。たとえば,実定法の趣旨と慣習が食い違うような場面では,慣習を尊重しながら穏便に解決を目指すのがあるべき姿なのか,実定法の趣旨を浸透させるために話をするのがあるべき姿なのか,悩むと思います。しかし,いわゆる「悪しき慣習」が問題になる場合などがあれば,後者を浸透させられるよう,努力していかねばと思っているところです。
ざっくばらんに記載しましたが,和解のあり方は,弁護士として活動しながら,いつも頭を悩ませているところです。いろいろな弁護士が,いろいろな方法を実践しており,今後もますます精進せねばと思います。