私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。
分類別: 犯罪・事件
「刑事弁護人」
亀石倫子(みちこ)先生。先般,GPSを利用した捜査手法について,画期的な最高裁判決を勝ち取った,有名な弁護士です。他,医業の中にタトゥーを彫る行為が含まれるかを問う裁判など,耳目を集める刑事裁判を担当しています。
GPSの事件は,みな,経験年数10年未満の6人が,法科大学院で学んだことを活かしながら,基礎から立論して対応し,大法廷判決で,画期的な違憲判決を勝ち取っています。
その舞台裏と言いますか,受任から大法廷弁論・判決まで,詳細に描かれており,大変勉強になりました。
もちろん,弁護活動というのは,事件によって人によって,1つ1つ異なるものです。一般的にどういうことに気を付け,どんな法的問題があり,どのように対応するかということについては,文献等もありますが,最初から最後まで,事件をトレースするということは,実はめったにありません。守秘義務もあるので,そう容易に開示することもできないのです。その点,(多少の脚色・表現等の問題はあるかもしれませんが)最初から最後まで,1人の弁護人の弁護活動をトレースして学ぶことができるというのは,貴重な機会です。弁護士としては,ぜひ,参考にさせていただき,今後の糧にしていきたいです。
さて,依頼者とのコミュニケーション,新たな論点に挑むために多数の論文を読み漁ったこと,学者の意見書を求めたこと,一審から後退した控訴審に対する憤怒,上告するにあたっての書記官とのやり取り,元裁判官のコメント,実際の弁論の様子など,さまざま参考になることがありました。なかでも,大法廷の最高裁の弁論など,めったに経験できるものでもないですし,非常に興味深かったです。弁論で「警察官が常時くっついている」と例えてGPSの違法性を論じたことについても,直前まで粘って粘って,直前でひらめいたアイデアを基にしているなど,やはり諦めないで取り組むことが必要なんだなと感じました。
ロースクール出身の6人が,いわゆる若手だけの弁護団で,判決を勝ち取ったというのも,励みになります。
このような貴重な本は,大切にしていきたいですね。読み物としても十分に面白いですので,一般の方にもおすすめです。
検察側の罪人
「検察側の罪人」
キムタクと二宮さんのダブル主演のリーガルサスペンスです。タイトル借りで見てみましたが,なかみはなかなか難解でした。
エッセンスとしては,時効で裁かれない者を放置するのは不正義ではないかという観点から,ついには自ら手を汚してしまう検事と,自らのストーリーに固執して捜査をすすめようとする検事に疑念を抱く検事の間で,それぞれの正義の形を描きながら,捜査機関が追い求めるべき「正義」とは何かを考えさせる映画かなと思いました。
語りつくされたと言えば語りつくされてきたテーマかもしれませんが,それだけに深いような。しかし,取調べシーンは,いまどきこんな取調べしてたら大問題だろうというぐらいリアリティのない叫んでばかりの取調べで,あまり共感できませんでした。むしろ,いまでも重大事件だと,あんな極端な取調べがあってるのかしら。
全体的に重苦しく,結末も気持ちのよいものではないので,観てて楽しくなるような感じの作品ではないですが,検事が追い求めるべき「正義」について考えたい方にはおすすめです。
ゆれる
オダギリジョー/香川照之「ゆれる」を観ました。10年以上前の作品ですが,見ごたえたっぷり,法廷シーンも面白い。
正反対の兄弟。幼馴染と兄弟で赴いた渓谷の吊り橋で,事件が起きる。「ゆれる」吊り橋。吊り橋から転落した幼馴染,事故か,殺人か。兄の裁判で徐々に明らかになる,誰よりもまじめで優しかったはずの兄の「ゆれる」内心。兄を信じ,それでいて苛立ちを覚える複雑な感情に「ゆれる」弟。
「ゆれる」という言葉は,作中のいたるところにかかっているように思われます。セリフが多いわけではないですが,1つ1つのセリフ,動作,背中,表情,,,と,全身を使って表現している演技も圧巻です。
派手な作品ではなく,むしろ,一見地味ですが,うまくいかない兄弟の,家族の,人生の難しさなどを暗示する,示唆深い作品だと思いました。
弁護士の視点で見ると,法廷のシーンもなかなか面白い。弁護人は,被告人質問において,自ら被告人の供述を再現するかのように,弁護人席で後ずさり,転落しながら(?!)質問を続けますが,ある意味プロの気迫を感じる弁護でした。マネできるかわかりませんが,ああいう質問の仕方もあり得るかもしれないと,非常に興味深く見ました。一方で,被告人質問が終わり,最後の締めで,弟の証人尋問が実施されていましたが,これは腑に落ちず,どういう争点整理をしたのだろうか?と気になりました。被告人質問は,最後にするものではないか?弟(オダギリジョー)の迫真の証言を受けて,弁護人は,改めて被告人質問を申請したのか?裁判所はどのように訴訟指揮したのか?余韻や暗示が多い事件で,すべてが描かれているわけではないことと相まって,疑問に思う法廷の展開もいろいろとありました。これらについて議論してみるのも面白いかもしれません。
ラストシーンも印象的。全体として,香川照之の怪演(?)がひとつの見どころだと思いますが,特にラストの笑みの意味は何だったのだろうか。
私にも弟がいて,何でもできるモテる弟ですから,作中の兄の気持ちも,まんざらわからないでもない…という気がして,その意味でも考えさせられる作品でした。
結局,真実は,兄が突き落としたのか,事故だったのかはよくわかりませんでしたが,どのように感じるかも,観る人の感性に任せているのでしょうね。
おすすめの作品です。
沈黙法廷
永作博美主演「沈黙法廷」(原作:佐々木譲の同名小説)を観ました。なかなか面白かったです。
主人公の山本美紀(永作博美)の人物像が,観る立場からさまざま。悪女なのか,淑女なのか。法律家としては,「事実は『見方』に影響される」ということを,日々感じているところですが,この作品ではそのことがよく表れているように感じます。
ネタバレになるので,あまり詳細なストーリーは語りませんが,私なりに,以下のような諸点を感じた作品でした。
①見込み捜査の危険性。主導した捜査官が,「別件でもなんでもいいから引っ張れ」「自白させればいい」「お前には刑事としての嗅覚がないのか」などと述べているシーン。いつの時代の捜査をしているんだよと突っ込みたくなるが,捜査機関側の危険な考え方が如実に表れているように感じた。
②警視庁vs埼玉県警のこぜりあい。そんなしょうもない理由で人権が簡単におびやかされてよいのかと思うが,実際にあり得ることだよなと危険性を実感。
③報道の危険性。山崎美紀(永作博美)の恋人だった高見沢弘志(市原隼人)が,山崎のためを思い,意を決して番組に出演したところ,その意図とは真逆の印象を世間に与えるような,悪意に満ちた編集をされてしまう。推定無罪にもかかわらず,「無期懲役か,死刑か」などのタイトルで視聴率を稼ごうとする手法,部下のまっとうな意見を聞こうともしない上司。山崎が悪女であるという虚像を作り上げていく報道の過程がある程度詳細に描かれており,マスコミの役割の重要性と危険性が垣間見える。
④状況証拠のみによる起訴。殺人事件ともなれば,誰が犯人か徹底的に捜査し,何が何でも裁きを受けさせないといけないという意気込みをもって捜査するところまではわからないでもないが,強盗殺人の凶器も見つかっておらず,強盗したとされる300万円の流れをたどる客観的証拠もなく,目撃証言もなく,本人も否認しているのに,公訴時効にかかるわけでもない状況でよく起訴したなと思う。もう少し丁寧に捜査してからでも遅くないのではないか。見込み捜査で,他は何も調べてなかったらこんなものなのかなと思った。
⑤(おまけ)検察官が,弁護人の反対尋問で,「強引な誘導です」と異議を述べていたが,反対尋問なんだから,誘導するのは当たり前だろうと思う。誤導というほどでもなかったと思う。
⑥(おまけ)最終陳述が見どころではあるが,長い。ここでこれだけしゃべるのであれば,被告人質問でもっと質問しなければならなかったのでは。最終陳述の場合,反対尋問がないので,言いっぱなしというところがないわけではないが,そうであるからこそ供述の信用性・価値についてはそれほど重視してもらえないだろうから,やはり被告人質問をもっとすべきであったと思う。
こんな小難しいことを考えなくとも,サスペンスとして十分に見ごたえがあります。残念だったのは,結局,3つの不審死の関連性はないという結論だけで,後2つの事件の真相は何だったのかが全く触れられていないこと。それと,山崎が「お金を借りて月9万円もする家賃のところに住んでいたこと」についての説明がなかったこと,偽名を利用した理由は語られたがなぜその名前を用いたのかという謎が残ったことなどです。
主人公は地味で,あまりしゃべらない(沈黙法廷というくらいなので,肝心なところで黙秘してしまいます。)ところから,派手さやエンタメ性は欠けるところがありますが,それが逆にリアリティを演出しており,総じて,いろいろと考えさせられる,良作ではなかったかと思います。
新・行橋警察署
本日,平成31年4月1日,ついに行橋警察署が移転しました。さっそく行ってきましたが(もちろん仕事で),なかなか広くて綺麗,接見室が2つに増えていて接見もスムーズになりそうですね。
本日,新元号が「令和」になることもきまりました。各校・各園にて,新たな門出を祝うセレモニーもそこかしこで行われていたようです。私も,今年度も頑張ってまいりたいと思います。
夜に撮ったのでうまく取れずにすみません…場所は,行橋市役所の隣です。
ジャスティス(アル・パチーノ主演の法廷ドラマ)
これまた古い映画ですが,アル・パチーノ主演,「ジャスティス」(1979年)を観ました。若干ネタバレになりますが,ネタバレしないとコメントがかけませんのでご容赦ください。
主人公の弁護士アーサー(アル・パチーノ)は,厳格な法の遵守ばかりを旨とする裁判官フレミングと何度も衝突する熱血漢。日々,信条に従う弁護活動に努めていた最中,くだんのフレミング判事が告訴される。さまざまな思惑がうごめくなか,弁護を引き受けることになったアーサーは,ラストシーン,正義,倫理観との戦いを強いられる。
ラスト近く,ある情報筋から仕入れた情報から,アーサーは,フレミングの有罪を確信,フレミング自身も否定しない。アーサーは,弁護人としての立場と,被害者の手前における,正義や倫理観と戦うことになるが,結局,弁護人として,被告人フレミングの有罪冒陳を行うという決断をした,,というものです。
映画を観終わって,いろいろとレビューを観ていると,それなりに好意的な意見もあって,確かに派手なシーンがないわりに(しかし,ラストの冒陳を含め,印象的なシーンは多数。),ラストは予想外の展開(てっきり,はじめは敵対していた判事と弁護人の溝が近まり,ラストは無罪を勝ち取るのかと思っていた。)であり,とても印象的な物語ではありましたが,弁護士としてはどうかと思いました。
アメリカと日本ではまた違うかもしれませんが,日本では,弁護士職務基本規定第46条・「弁護士は,被疑者及び被告人の防御権が保障されていることに鑑み,その権利及び利益を擁護するため,最善の弁護活動に努める。」(最善弁護義務)とされています。
被告人が(仮に裏では犯行を否定していなくとも)裁判上は無罪主張をしようとしている場合に,冒頭陳述で,「被告人は有罪」と述べたり,それだけでなく「検察官は被告人を有罪にできない,なぜなら私が有罪にするからだ!」などと述べるのは,どう考えても弁護人としては許されない行為だと思います。
もちろん,葛藤の上,許されない行為を乗り越え,被害者のために有罪冒陳をするという選択をしたというところに,映画としてのドラマ性があるのかもしれませんが,実際,これを日本でやったら,懲戒は間違いないでしょうね…
ドラマを純粋に楽しめない,無粋な弁護士による無粋なコメントかもしれませんが,今回はコメントせずにはいられず,筆をとった次第です。
刑事事件の難しさを,改めて考えさせられたような気がした作品ではありました。法科大学院の法曹倫理などで教材にしたら面白いのではないかと思います。
いとこのビニー
「いとこのビニー」
かなり古い映画(1992年)ですが,なかなか面白かったです。
基本的なストーリーとしては,えん罪で裁判にかけられた2人の若者が,絶体絶命の中で,いとこのビニーによって無罪を勝ち取る物語。
えん罪という重いテーマを扱いながら,全体としては,弁護人のビニー(ジョー・ペシ)のキャラクター的に,コメディ・タッチで進行していきます。それでいて,都心部から田舎に来た若者がその地で殺人の罪を疑われるという構図上,地方における差別・偏見の問題など,深いテーマに挑んでいるような側面も垣間見えます。
どこまでがリアルなのか判断がつきかねますが,権威をふるう裁判官の様子も,日本とはだいぶ違いますね。本作の(法曹関係者における)最大の見どころは,反対尋問でどのように証人を突き崩すかというところですが,法廷でメジャーを持ち出して距離を測りながら視力の実験をしたり,視認状況につき,障害物となり得るものを1つ1つ質問を重ね,最後にそれでも見えたのかと追いつめる様子など(注:一般論としては,そんな質問しなくても,見えなかったのではという評価は弁論で意見すればよいのではと言われていますが。),なるほど~と思った突き崩し方も散見されました。
まあ,現実でこんなにうまくいくかはさておき,証人テストをみっちりやって尋問にのぞんだり,基本に忠実に,成功をおさめているようにも思いましたので,素直にいいところを吸収していきたいと思います。
そんな難しい話は考えなくとも,導入部から,かみあわない登場人物のやり取りがコメディ・タッチで描かれ,法廷初参戦のいとこのビニーが成長していき無罪を獲得する様は,とても痛快で,面白かったです。おすすめの一作。
出所後に関する取組み
本日の西日本新聞に,興味深い記事がありました。「受刑者 今や『金の卵』」というタイトルです。
神戸刑務所が,受刑者を対象にした就職面接会を開いており,人手不足が深刻な土木業界などの企業ニーズとマッチしているのだとか。よい試みだと思います。
日本の社会では,1度前科がつくと,やり直しが難しくなりやすいという風潮があることは,否定しがたいと思います。経験上,お金がない,やることがない(仕事も見つからない)…などとい場合には,特に,再犯に及ぶなど,よからなぬ方向に動いてしまうケースも多いような気がしています。そのため,懸命に働き,あわせて生活の糧も確保できる,ひいては再犯を防止できるという意味で,良い活動ではないかと思いました。
稲森和夫さんが,仕事をすることは,心を高めることだ,と言っていたのも思い出しました。仕事を通して,反省を深めるということもできるかもしれません。
弁護人としての活動は,裁判中のかかわりに過ぎず,被告人の長い人生を考えると,裁判での対応と立ち直りのきっかけを与えるくらいの,ほんのささいなかかわりしかできません。刑事司法・刑事政策について,今後も,広い視点で考えることができるよう,さまざまな取り組みに触れていきたいと思いました。
拘置所のタンポポ
前回の「ほんとうの『ドラッグ』」に引き続き,DARC創設者である近藤恒夫さんの著書の紹介です。
法曹界では,むしろこちらが有名でしょう。自分が覚せい剤に魅了されていった経緯,そこから抜け出すためにあがく日々など,「ほんとうの『ドラッグ』」と重なる部分も多くあります。しかし,当時世間をにぎわせていた,酒井法子(のりピー)の薬物問題に関するコメントがなされていたり,知られざる薬物の世界について詳しく解説してあったり,立ち直った又は直ろうとしていたさまざまな方々に関する実録が記されていたり,また違った趣の記載部分もあります。近藤さんを支える方々のなかに,1度は直接近藤さんに有罪の判決をくだしている奥田保元裁判官(弁護士)との友情についての話も記されており,大変興味深いです。
「ほんとうの『ドラッグ』」は読みやすく,メッセージ性の強いシンプルなつくりの本という印象ですが,「拘置所のタンポポ」は,より実話や評論が深められている本だという印象。残念ながら薬物に関わってしまった方への更生支援として,又は若い方々への法教育の一環として,広く読んでいたきたい本です。
ほんとうの「ドラッグ」
DARC(=DRUG ADDICTION REHABILITATION CENTER)という施設があります。薬物依存の方の支援をする施設です。その創設者,近藤恒夫さんも,自身が薬物に依存していたという経験者です。その著書として,「拘置所のタンポポ」が有名ですが,「ほんとうの『ドラッグ』」という本も,読みやすく,それでいて,経験者しか語れない,凄みを感じさせる内容の本です。
薬物依存は,「否認の病」とも言われるようです。自分は大丈夫,いつでもやめられると思っていても,その実,いつまでたってもやめられない…。薬物依存は,意思の問題ではないとも言われており,どうすれば解決できるのか,刑事弁護等で,頭を悩ますことも,少なくありません。私自身,経験したこともないわけですから,あまり偉そうに上から解決法を示すこともできないわけです。薬物依存が疑われる方には,「とにかく読んでみて」と本を渡して読んでもらう。何かしら感じるところはあるはずです。
著者が,覚せい剤を使用したきっかけは,歯が痛くて,痛み止めを所望していた際,「覚せい剤,打ってみる?」と言われたことだそうです。最初は,そんなきっかけでしたが,たちまち覚せい剤のとりこになって,アリ地獄のような,ドラッグの悲惨なわなが待ち構えていたと述べています。その背景。家が半焼した際についた嘘。父母が離婚して,父のことを訪ねられるたび,父は戦争で死んだと言い続けたこと。その2つの嘘が自分の心を重苦しく,さみしくさせたといいます。親しくしていた先生が,ヒロポンの中毒者だったことも,薬物使用のハードルを下げさせたのではないか。そのように分析しています。
では,著者が,どうやって,立ち直ったのか。薬物依存を防ぐ1番確かな方法は何か。答えは「友情」とのこと。著者は,アル中の神父さんに誘われ,ミーティングに参加するようになって,人生が変わります。中毒者の特徴である「明日から」を止めよう。これについても,考えが変わります。「明日のことはだれにもわかりません。だから,今日のことだけを考えましょう。just for today(今日だけのために)」…更生の経過は,是非本を読んでいただきたいです。おすすめします。
最後に。著者は,裁判官に言われた言葉を片言も忘れたことないと言います。
「刑務所という自由のない場所で,自分の意志によらずに覚せい剤をやめさせられるのではなく,覚せい剤を使える事由の中で自分の意志でやめることのほうを,わたしはあなたにしてもらいたい」