私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。

「介護疲れ」90歳母殺害 大分合同新聞 2021年6月2日25面

今朝,新聞を見ていますと,ショッキングなタイトルが目に入りました。

「「介護疲れ」90歳母殺害」 大分合同新聞 2021年6月2日25面 です。

逮捕段階で,詳細はこれから捜査するのでしょうから,内容には言及しませんが,記事の最後に載っていた,「「地域の中で孤立していたのだろうか。」70代の女性は語った」という一文もインパクトがありました。

幣所は,高齢者の多い地域のなかで,介護業界に密着した活動をしたいと考えています(現在,業界に特化したHPも作成中です。)。地域包括ケアシステムのなかに,法務の専門家としてお力添えできれば…と思っています。今回の事件の記事を見て,改めて,介護というのがときに過酷な世界なのだと思い知らされ,改めて,このような事件がなくなっていくよう,陰で支える一員になれたらという思いを新たにしました。

生活実態,事件に至る経緯などが気になるとことです。事件の経過はこれからも追いかけていきたいと思います。

飲酒運転撲滅について考える

 令和3年4月29日,豊前市所在の青豊高校にて,NPO法人 はぁとスペース福岡の代表・山本美也子様の講演を拝聴する機会に恵まれました。「思いやりで社会を変える。~この時代を生き抜く私たちに出来ること~」と題し,主に飲酒運転に関するお話をいただきました。

 山本さんからは,長男とその友人を,痛ましい事故により亡くした経験を,赤裸々に語っていただきました。飲酒運転をするとはどういうことか。まだ飲酒も運転も経験のない高校生を相手に,「酔っ払いメガネ」なるもので,実際に酒酔いを疑似体験してもらったり,「お酒に酔うというのは,脳に麻酔がかかっている状態」などとわかりやすく説明をしていたり,私にとっても非常にためになるお話が多かったです。

 仕事柄,飲酒運転で裁判を受ける方,加害者の弁護をすることもしばしばです。どうしたら実感をもって,感銘力をもって,被疑者・被告人と話ができるか,私も常々考えています。

 今回のお話も参考に,私も引き続き飲酒運転について,考えを深めていきたいと思います。

発達障がいと犯罪・非行

令和3年1月23日(土)午後5時~7時 @吉富フォー・ユー会館研修室 NPO法人まど 支援者育成セミナー「発達障がいと犯罪・非行」

夫婦で興味関心がある分野であること,知人が主催していることなどから,参加して参りました!

講師は,一般社団法人おかえり基金理事長土井高徳様。

内容はとても興味深いものでしたが,深淵なテーマでしたので,内容を完全に理解できているのかも自信がございません。内容のリマインドではなく,私の感想・備忘的なものとさせていただき,今後も学びを深めていければと思いました。

支援者を悩ます「困った」子どもというのは,適切な理解と支援がないために実は「困っている」子どもたち,という指摘ははっとさせられました。ともすれば,支援者目線で上からの目線になってしまいがちのようにも思いますが,子どもの目線での捉え方をしっかり頭に置いておく必要があると思いました。

発達障害(生まれつきの脳機能の発達のかたよりによる障害。),愛着障害(不適切な養育(虐待)や養育者の一貫性を欠く養育により,深刻な対人不信に陥るなど適切な人間関係を維持することが困難になり感情統制が取れなくなる。),解離(虐待などを原因として直面化しなければならない場面で,心のスイッチを切って乗り切ろうとする自己防衛機能。)という3つの概念を整理しました。なるほど,視点が広がった気がします。

実際に発達障害の子どもとかかわるにはどうしたらよいか。説教するよりしっかりおなかを充たしてあげる。いつまでもいていいんだよ,安心して生活できる場を提供してあげる。いつでも帰ってきていいんだよ,一歩進んで二歩下がるような,ぐるぐるまわるような前進でも,決して見捨てず,子どもによりそっていく。実際に講師が取り組んできた内容のお話を聴いて,なるほどと思いました。安全感のある毎日を保障し,一貫性・継続性のある応答をする。相互性を活かしたたすけあい・支え合いの関係を構築する。すべてを理解できたかはわかりませんが,対応の基本的な視座を得ることができた想いです。

犯罪・非行に走ってしまう,困難を抱える子供にどう対応するか。時間とともに成熟するのを待つ。右肩上がりの回復ではなく,行きつ戻りつの円環的な回復を認め,「支援者の方が自分の感覚で成長を促す」のではなく,「子どもの成長を横に並んで一緒に歩んでいく」姿勢が必要。クスリの処方よりも関係性の処方。ちょっとずつちょっとずつ,できたこと,できるようになったことに目を向ける。ゆっくりじっくり根気強く対応していくことが必要だと感じました。

講師のことばのなかで特に印象に残ったのは,以下の「7つの魔法の言葉」。子どもの心を転換させる言葉として紹介されました。

1 共感 …「ああ,つらいんだね。」

2 愛着 …「ああ,そのままでいいよ。」

3 慰労 …「よくがんばってきたね。」

4 感謝 …「ありがとう。」

5 同意 …「そうなんだ。」

6 安心 …「だいじょうぶだよ。」

7 尊敬 …「きみって,すごい。」

ひらがなの,短い言葉ですが,きれいな日本語であり,かつ,1つ1つにとても深みのある言葉と思います。普段の生活の中で,改めて意識的に利用していきたいと思える言葉です。支援に限らず,子育て全般にも利用したいことばがけではないかと思います。

最後に。講師の方もおっしゃってましたが,「今日はいいこと聞いた。」と思っても,人間すぐに,どんどん,忘れていく。引き続き勉強を深め,今後の活動にいかしていけるよう,益々精進していきたいと,決意を新たにいたしました。

その決意のあらわれとして,現地販売の書籍をすべてゲット。講師の方からのありがたいお言葉もいただきました。まずはここから,学びを深めてまいります。

各書籍、目を通すことができたものから,またレビューを書いていきたいと思います。乞うご期待(?)。

今回は,犯罪・非行などが認められる発達障害の方へのアプローチについてのお話でしたが,そもそも,我々が当人にお会いした時,どうやったら発達障害と「気づけるか」というテーマでのお話もお聞きしたいと思いました。引き続き学びを深めてまいります。

企画・主催いただいたNPO法人まどの皆さま,有意義な時間をありがとうございました。

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なぜ君は絶望と闘えたのか

ドラマWスペシャル「なぜ君は絶望と闘えたのか」(2010年)

1999年に起きた,いわゆる光市母子殺害事件。加害者は当時少年。被害者である女性とその生まれたばかりの娘が殺害された痛ましい事件です。その夫は,この事件につき,世論に訴え続けます。この事件をきっかけに,被害者保護法制が整備されていくことになります。その過程を,改めて勉強することができます。

当初,無期懲役とされた第一審判決。そして控訴審判決。被害者が少年であることや,被害者が2人であることを考慮したのだと思いますが,最高裁で破棄差戻し。その後死刑判決がくだります。

被害者側の視点から,裁判の経過を振り返ることができます。

一方で,作中でも,弁護側の主張に批判が集まっていました。しかし,この事件,自分のところに国選がまわってきたら…非常に悩ましいです。被告人の意向を踏まえ,最善の弁護活動をしていくことになりますが,どのような活動が最善弁護なのか,個別事案ごとに,どんなときも悩んで取り組んでいきたいと思います。

なお,ラストに映し出される小倉駅も印象的でした。

性犯罪の要件(令和2年4月2日・西日本新聞社説)について

「相手方が積極的にイエスと言わない限りノーと解釈すべきだ-性行為を巡り、そんな世論が高まってきた。性暴力の裁判で、このイエスを限定的に捉える無罪判決が続き、被害者支援団体などが刑法改正を訴えている。」

西日本新聞・令和2年4月2日(木)・7面(オピニオン)のうち,社説の中の記事の一部です。興味深かったので,ご紹介を。

強制性交等罪の裁判では,性交に同意があったのではないか(「和姦」などと言われることもあります。)が争点になることもしばしば。セクハラの裁判などでも,部下の女性が拒絶の意を示していないではないかという主張が出てくることもあります。

拒絶しない=同意がある=無罪というような下級審裁判例が,上訴審で拒絶を重視できないとして逆転有罪になる事例が散見され,「被害者の同意」「被害者の拒絶の意思表示」の捉え方に注目が集まっているようです。セクハラ唯一の最高裁判例である海遊館事件(最判H27.2.26)でも類似の考え方が示されています。被害者が積極的に拒絶の意思を示していないことを過大視してはいけないという考え方が浸透し始めていると思われますが,いまだに浸透しきってはいないという状況でしょうか。

法務省は,一歩進めて,犯罪成立要件のレベルで,検討のし直しを図り始めたようですね。

記事のなかでは,スウェーデンにおいて,積極的な同意以外は不同意と解釈してレイプ罪を適用する刑法改正を行ったということも紹介されていました。日本ではこれから,どのような議論が展開されるか,注目していきたいと思います。

教誨師 レビュー

大杉漣「教誨師」

2018年に惜しくも急逝した大杉漣さん。その最初のプロデュース作にして最後の主演作だとか。大杉さんは名脇役(シン・ゴジラでヘリコプターごとゴジラの放射能に吹き飛ばされる総理役とか)としてとても好きな俳優でしたが,とても残念。

6人の癖ある死刑囚と,淡々と話をするだけの内容。ローコストでできていいですねと思う反面,派手なアクションとかで観客を魅了できない分,役者の演技とやりとりだけで観る者に何かを訴えないといけない,難しい作品と思いました。

死刑を回避したいがために,牧師に「さらに人を殺した」などと吹聴する者。とにかく攻撃的で,議論で牧師を言い負かそうとする者。読み書きができず,刑務所で読み書きに励む者…。いろいろな人,いろいろな場面が出てきますね。死刑囚の話を聞きながら,教えを説きながら,自分の過去(兄が殺人を犯し,その後死んでしまった)に向き合う,そういった内容。そんななかで,1人につき,死刑執行が言い渡され,執行を目のあたりにする。死刑のシーンはその音,迫力が怖いほど。

作中,何の結論も出ず,この作品から何を受け取るかは人それぞれなのでしょう。死刑囚に懸命に話をする教誨師の姿は,何となく,一生懸命情状弁護をする弁護人と重なるところもあるように思われました。

「あなたのそばにいますよ」 大杉さんが,ある死刑囚に投げかける言葉ですが,弁護人も,最終的に,できるのはこれなのかなと思いました。

いろいろ考え過ぎると,糖分を使い切ってしまったため,上毛町の名物,レモンタルトをいただきながら,休憩を取りたいと思います(笑)。 enter image description here

プラージュ~訳ありばかりのシェアハウス~

プラージュ~訳ありばかりのシェアハウス~

前科者の生きづらさと,そのようななかでも懸命に更生しようとする者たちの奮闘を描く群像劇。

踏んだり蹴たりで気が付けば薬物犯罪で有罪になってしまった主人公。入居したシェアハウスは前科者ばかりの集う場所。各々,壮絶な過去を回想しながら,ラストに向けて収束していく。

前科者が世間にいかに見られているのかを丁寧に描いている。なかなか就職が決まらない。商店街に警察が介入するのを煙たがられる。一方で,立ち直りを支援したいという想いも描いている。オーナーの父は傷害致死事件で服役し,出所後立ち直ろうとしたが,挫折。以来,前科者が出所後立ち直るのを支援できるようにしたいと考えたという。最初は冤罪の者を陥れることばかりを考えていたのに,最後は人を守るために身を投じる者もいた。

決して明るい話ではないが,重厚ながらも,星野源のキャラにより軽やかさも兼ね備えてみることができる,よくできたドラマではないかと思う。

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三度目の殺人

福山雅治主演,映画「三度目の殺人」。

法廷サスペンスかと思って観ましたが,むしろ大事な被告人質問が一部しか映されないなど,法廷の描写は一部であって,淡々と進む人間ドラマが大半でした。深いような気もしますし,ただ,淡々と進むストーリーはつまらなく映る人も多いだろうなという印象。後味はあまりよくない映画です。

全編で描かれているのは,ある殺人事件です。被疑者は身柄拘束され,事実を認めています。前科あり。弁護側は,戦術として,減軽酌量を求めていこうとしますが,調査を進めていく中,新たにわかった事実から,「真実はこうでないか」と思われるストーリーが次々にあらわれ,最後には被告人自身が犯人性を否認する。被告人と被害者の子の間に接点があり,被害者の子にはある秘密があることがわかる。「真実はこうでないか」とさまざまな想像を掻き立てられますが,結局,検察官の起訴どおり,被告人は有罪判決となる。そんなストーリーです。

まるで羅生門のように,事実の多面性を扱った作品。弁護人は,結局本当のことはわからないのだから,被疑者に有利になるようにすればいいと述べますが,一方で,動機すら二転三転するなかで,真実を追い求めずしてよいのかというような葛藤にもさいなまれます(真実はわからないと言っていた主任弁護人自身が,最後は真実を追い求めているように見えた。)。裁判がある意味,「阿吽の呼吸」で進んでいくさまも描いており,忙しすぎる裁判官,被告人ではなく裁判員の方を向いている裁判員裁判など,日本の裁判制度の問題点も浮き彫りにするかのようです。

スカッとしたいというような方にはおすすめできませんが,ゆっくりじっくり見て,瞑想にふけりたいという方にはおすすめの一作です。

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裁判員制度,施行10年

令和元年5月21日,裁判員制度が施行10年を迎えました。はやいものですね。

私も,裁判員裁判の経験がありますが,本当に大変です。しかし,私が担当する行橋支部では,裁判員裁判はできません。裁判員裁判は,3人の裁判官の合議体で行う必要があるところ,そもそも行橋支部には3人も裁判官がいないからです。私が担当するとすれば,福岡本庁,小倉支部といったところでしょうか。そのため,経験は比較的少ないのかもしれませんが,実際の経験を踏まえ,かつ,法廷技術を磨くための研修にもたびたび参加している(法廷技術研修を修了した旨の修了証書もありますよ(笑))なかで,10年前よりも確実に弁護活動が深化していると思っています。

事由と正義2019年5月号や,5/21の各新聞報道においても,さまざま記事が出されており,四宮啓先生,高野隆先生,髙山巌先生(以上「自由と正義」),桜井光政先生(日経新聞)など,刑事弁護の第一人者というべき方々のコメントが散見されました。

各誌をみていると,おおむね,

①参加した裁判員は,95%を超えて「よい経験だった」と述べているが,浸透していない,

②そのため,選任手続への無断欠席が目立つ,

③しかし,裁判員制度の目的は,裁判員に社会経験をさせるためではなく,被告人のために一般人の常識を尊重したうえで適切な審理をすることであるから,この点を忘れてはならない,

④刺激証拠の扱いなど,過度に裁判員への配慮をしすぎているのではないか,

⑤守秘義務が厳しすぎるのではないか,適切に理解されていないのではないか,

⑥公判前整理手続の長期化はどうにかならないのか…

などと言った内容に見えました。

私のまわりで,裁判員として参加したという話を,あまり聞いたことがないのですが,これも守秘義務による委縮効果(?)なのでしょうか。

いずれにせよ,私の実感としても,裁判員裁判は,従来の書面主義・五月雨式の審理から脱却を図り,直接主義・口頭手主義に沿う審理の変化をもたらしたもので,AQ先行型審理,保釈の運用の変化(?)など,これが裁判官裁判にももたらした影響が大きいと考えています。

裁判員裁判そのもの,又はこの経験を生かした裁判官裁判をなすべく,私もさらに精進してまいります。

拘置所のタンポポ

前回の「ほんとうの『ドラッグ』」に引き続き,DARC創設者である近藤恒夫さんの著書の紹介です。

法曹界では,むしろこちらが有名でしょう。自分が覚せい剤に魅了されていった経緯,そこから抜け出すためにあがく日々など,「ほんとうの『ドラッグ』」と重なる部分も多くあります。しかし,当時世間をにぎわせていた,酒井法子(のりピー)の薬物問題に関するコメントがなされていたり,知られざる薬物の世界について詳しく解説してあったり,立ち直った又は直ろうとしていたさまざまな方々に関する実録が記されていたり,また違った趣の記載部分もあります。近藤さんを支える方々のなかに,1度は直接近藤さんに有罪の判決をくだしている奥田保元裁判官(弁護士)との友情についての話も記されており,大変興味深いです。

「ほんとうの『ドラッグ』」は読みやすく,メッセージ性の強いシンプルなつくりの本という印象ですが,「拘置所のタンポポ」は,より実話や評論が深められている本だという印象。残念ながら薬物に関わってしまった方への更生支援として,又は若い方々への法教育の一環として,広く読んでいたきたい本です。