私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。

三度目の殺人

福山雅治主演,映画「三度目の殺人」。

法廷サスペンスかと思って観ましたが,むしろ大事な被告人質問が一部しか映されないなど,法廷の描写は一部であって,淡々と進む人間ドラマが大半でした。深いような気もしますし,ただ,淡々と進むストーリーはつまらなく映る人も多いだろうなという印象。後味はあまりよくない映画です。

全編で描かれているのは,ある殺人事件です。被疑者は身柄拘束され,事実を認めています。前科あり。弁護側は,戦術として,減軽酌量を求めていこうとしますが,調査を進めていく中,新たにわかった事実から,「真実はこうでないか」と思われるストーリーが次々にあらわれ,最後には被告人自身が犯人性を否認する。被告人と被害者の子の間に接点があり,被害者の子にはある秘密があることがわかる。「真実はこうでないか」とさまざまな想像を掻き立てられますが,結局,検察官の起訴どおり,被告人は有罪判決となる。そんなストーリーです。

まるで羅生門のように,事実の多面性を扱った作品。弁護人は,結局本当のことはわからないのだから,被疑者に有利になるようにすればいいと述べますが,一方で,動機すら二転三転するなかで,真実を追い求めずしてよいのかというような葛藤にもさいなまれます(真実はわからないと言っていた主任弁護人自身が,最後は真実を追い求めているように見えた。)。裁判がある意味,「阿吽の呼吸」で進んでいくさまも描いており,忙しすぎる裁判官,被告人ではなく裁判員の方を向いている裁判員裁判など,日本の裁判制度の問題点も浮き彫りにするかのようです。

スカッとしたいというような方にはおすすめできませんが,ゆっくりじっくり見て,瞑想にふけりたいという方にはおすすめの一作です。

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葬儀費用の取扱いについて

相続のご相談の際,必ずと言ってよいほど出てくるのが,「葬儀費用を●●が出した,出してない」という問題です。少しコメントしてみます。

まず,法理論的には,厳密に言うと,葬儀費用の問題は,相続・遺産分割とは別の問題ということに注意してください。相続というのは,被相続人の死亡により発生するものですが,葬儀費用は,被相続人死亡後に発生するもので,相続債務ではありません。さらに,葬儀会社との関係では,契約をした人が債務を負担します。問題は,「最終的な」費用負担者は誰かということです。

喪主が負担すべきという説,相続人が法定相続分で負担すべきという説など,複数の説が対立しており,確定した最高裁判例はありません。 近時は喪主負担説が強くなっていると言われますが,経験上,遺産分割調停では,法定相続分で負担するという処理もよく見られます。遺産分割で,葬儀費用を法定相続分で負担すると不公平だと感じられるような分け方をした際に,端的にいうと長男が優遇して遺産をもらっているような場合に,香典ももらってるんだから,葬儀費用ぐらい負担してよということで,争いになることが多いから,喪主(多くは長男などでしょう。)負担とされることが多いのかもしれませんね。

以前,私のところに,セカンドオピニオンを求めて相談に来られた方から,「前の弁護士から,葬儀費用は喪主が負担すると決まってると言われた。」と述べていた方がいましたが,決まっているわけではないですし,個別事案に応じて妥当な解決を図っているというのが実情ではないでしょうか。

香典は,被相続人の死後に,遺族へ贈与されたものと理解しますが,通常,香典から香典返しを差し引いた金額を,葬儀費用に充当するということになるでしょう。

(葬儀費用-香典+香典返し)÷相続分=各人の負担額

という形で,解決を図っても良いのではないでしょうか(特に調停)。

負担するのはよいが,金額が高すぎるというときもあります。妥当な金額として合意できる範囲で相続人で負担して,それを超える部分は,葬儀を契約した人(喪主)が負担するという解決も,一考ですね。

なお,ここでいう葬儀費用とは,遺体搬送費・葬儀会社への支払・葬儀場への賃料・お布施・火葬費用などです。これらに付随する通夜・告別式の接待用飲食代,初七日の費用,四十九日の費用は微妙で,葬儀費用に含めるかどうか争いがあります。

葬儀後の弔問客の接待費用,一周忌,三周忌,墓地の取得費,仏壇購入費などは,祭祀承継者としての義務なので,葬儀費用ではありません。

領収書のないものはどうしましょうか。あるに越したことはないですが,こと葬儀に関して言うと,性質上,慣習上,そもそも領収書の発行がないということも結構あります。裁判例も,そのような実情を踏まえ,葬儀の実施そのものを疑うなど特段の事情がない限り,領収書などの資料がなかったとしても,葬儀を実施する以上,社会通念に照らし相当な額が経費として生じたことが推認されるとしたものがあります(大阪高判H27.7.9)。

遺体・遺骨は,葬儀とはまた別に考え,祭祀財産に準じて扱い,祭祀承継者が引き継ぐことになるでしょう。

祭祀承継者をどのように決めるか。被相続人の指定があればその指定に従います。指定がなければ監修に従うとされてますが,実際は慣習に従って定められた審判例はほとんどないようです。最終的には審判で祭祀承継者を決めますが,その際は,①被相続人との親密性と,②被相続人の生前の意思を判断基準にします。

紛争の予防についてですが,祭祀承継者は,遺言で指定ができますので,遺言を作成することを検討してみましょう。

葬儀費用については,保険や共済で,死後の葬儀費用に相当する金員を喪主にすぐに一括で支払うという内容の商品があるようで,実際に,依頼者のなかには,複数名,これを利用して備えている方がおられました。

葬儀費用の対策(?)としてよく言われるのが,「死亡後に凍結される前に引き出せ!」というテクニック(?)ですが,これも使途不明金問題等を誘発する危険がありますから,保険や共済を利用する方法がおすすめですね。

相続の相談が多いことから,近日中,相続に特化したHPを作成する予定です。こちらもご参照ください。

99.9%は仮説~思い込みで判断しないための発想法~

本日,金陵同窓会の定期総会・記念講演がありました。 主に,育徳館高校・中学のOBで構成される同窓会のようです。京築地域の名門ですね。

長崎出身のお前は縁もゆかりもないだろうと言われそうですが,私も毎年,協賛させていただいているのです。ご招待いただきましたので,記念講演だけですが,拝聴させていただきました。

講演者は,サイエンス作家の竹内薫氏。暗記型ではなく探求型の教育を手掛けているとのことでした。お題は,表題のとおり。

どんな話が飛び出すのか?と思いながら聞いていましたが,AI時代,これからヒトとAIがどのように歩んでいくか(仮説1:ターミネーターの世界。仮説2:鉄腕アトムの世界),という話から始まり,AIの特徴である自動化=最適化=思い込み?について実例・クイズをもとに検討し,柔軟で,手を変え品を変え工夫してできるよう,これからの教育を考えていくべきという内容で締めくくられていました。

大変に興味深く,私がまとめるのはおこがましいので,印象的だった部分だけ記載しますが,AIは「暗記」は得意だけど「常識」がなく,文脈や空気を読み取れないという話,AIはソーゾー力(想像力,創造力)が欠けているゾンビであるという話など,具体的な話を通して,「人間にしかできないこと」を考え,これからは,人工知能と人間のすみわけが大事になってくるということでした。

最後の質問では,自動運転の可能性についても議論がありました。自動運転においても,どこからどこまでがAIの領域で,どこから人の領域なのかのすみわけを考えることが大事とのことです。危険を察知してアラームを鳴らすところまでが機械の役割で,その後の判断・動作は人間の役割?それとも,機械の役割はもっと狭い?あまりに機械に頼って運転していると,人間の注意力が落ちていくため,どこまで任せるのか。実際に事故が生じたときの責任としても,機械のせい?ヒトのせい?…などなど,交通事故を取り扱う上でも,将来生じてくる論点の解決のヒントを得たような気がしました(あくまでとっかかりのレベルですが。)。

私の母校のうち,小学校は,既に建物がなくなってしまっています。連綿と同窓会が続いているのは素晴らしいことだと思います。貴重な機会をいただき,ありがとうございました。

「刑事弁護人」

亀石倫子(みちこ)先生。先般,GPSを利用した捜査手法について,画期的な最高裁判決を勝ち取った,有名な弁護士です。他,医業の中にタトゥーを彫る行為が含まれるかを問う裁判など,耳目を集める刑事裁判を担当しています。

GPSの事件は,みな,経験年数10年未満の6人が,法科大学院で学んだことを活かしながら,基礎から立論して対応し,大法廷判決で,画期的な違憲判決を勝ち取っています。

その舞台裏と言いますか,受任から大法廷弁論・判決まで,詳細に描かれており,大変勉強になりました。

もちろん,弁護活動というのは,事件によって人によって,1つ1つ異なるものです。一般的にどういうことに気を付け,どんな法的問題があり,どのように対応するかということについては,文献等もありますが,最初から最後まで,事件をトレースするということは,実はめったにありません。守秘義務もあるので,そう容易に開示することもできないのです。その点,(多少の脚色・表現等の問題はあるかもしれませんが)最初から最後まで,1人の弁護人の弁護活動をトレースして学ぶことができるというのは,貴重な機会です。弁護士としては,ぜひ,参考にさせていただき,今後の糧にしていきたいです。

さて,依頼者とのコミュニケーション,新たな論点に挑むために多数の論文を読み漁ったこと,学者の意見書を求めたこと,一審から後退した控訴審に対する憤怒,上告するにあたっての書記官とのやり取り,元裁判官のコメント,実際の弁論の様子など,さまざま参考になることがありました。なかでも,大法廷の最高裁の弁論など,めったに経験できるものでもないですし,非常に興味深かったです。弁論で「警察官が常時くっついている」と例えてGPSの違法性を論じたことについても,直前まで粘って粘って,直前でひらめいたアイデアを基にしているなど,やはり諦めないで取り組むことが必要なんだなと感じました。

ロースクール出身の6人が,いわゆる若手だけの弁護団で,判決を勝ち取ったというのも,励みになります。

このような貴重な本は,大切にしていきたいですね。読み物としても十分に面白いですので,一般の方にもおすすめです。

交通事故の被害者側代理人が知ってお得な経験知識

今年の日弁連夏季研修では,交通事故に強い菅藤浩三先生により,「交通事故の被害者側代理人が知ってお得な経験知識」と題して,研修が行われました。私も,交通事故を数多く扱っておりますので,ぜひともお聞きしたいと思い,遠路はるばる,福岡市六本松まで,足を運んできました。

もちろん,これですべてではありませんが,気になったことをメモ程度に。

・交通事故から1か月以内くらいの早期相談者…被害者にノーマルストーリー,弁護士を介入させる意味を理解してもらう。

・治療打ち切りへの対策としての転医は,おすすめしない。後医が,症状固定を判断するのが,難しいから。

・一括対応の時期延長交渉を希望する方は多い。しかし,せいぜい1か月くらいが限度で,劇的に伸長は難しいのではないか。骨折などの場合は別。打ち切り後も通いたい場合は,健康保険を使う。この場合,第三者加害行為による傷病届の提出を忘れない。

・通院交通費などについては,自己申告をうのみにするのではなく,しっかり調べることも重要。こういうところで信用を落とさないことが,全体として解決水準を下げないようにするために重要。

・裁判により等級を上げようとして,返り討ちにあう事案もある。訴訟提起する場合は注意。

・一括払いしていた相手方損保が訴訟で施術期間を争うのは信義則違反か?→信義則違反ではない(福岡高判2004.2.28,東京高判2015.2.26)。

・治療途中に別の交通事故に遭い同一部位を負傷した場合…第2事故に遭遇した日以降の損害はどちらの当事者が分担負担する?…連帯責任にはならない。各事故の寄与度を自由心証で定める。訴訟も覚悟せざるを得ない。具体的には,赤本2016年下巻講演録参照。

・担当医が非協力的な場合,転医による対応を考える場合は,できるだけ早期に行う。

・分損の適正修理費用の紛争については,①そのキズが当該事故によるものか(事故とキズとの因果関係),②板金修理で済むか部品交換が必要か(選択する手段の適正),③標準作業点数との乖離,さらにはレバーレートの違い(単価の適正)が問題になり得る。

・レバーレート(工賃単価)×標準作業点数(指数)=作業工賃

・標準作業点数は,自動車整備標準作業点数票でわかる。

日常的な業務のなかで,共感できるところ,参考にできるところ,応用できるところがたくさんありました。この研修内容も生かして,より充実した弁護活動を行っていきたいと思います。

検察側の罪人

「検察側の罪人」

キムタクと二宮さんのダブル主演のリーガルサスペンスです。タイトル借りで見てみましたが,なかみはなかなか難解でした。

エッセンスとしては,時効で裁かれない者を放置するのは不正義ではないかという観点から,ついには自ら手を汚してしまう検事と,自らのストーリーに固執して捜査をすすめようとする検事に疑念を抱く検事の間で,それぞれの正義の形を描きながら,捜査機関が追い求めるべき「正義」とは何かを考えさせる映画かなと思いました。

語りつくされたと言えば語りつくされてきたテーマかもしれませんが,それだけに深いような。しかし,取調べシーンは,いまどきこんな取調べしてたら大問題だろうというぐらいリアリティのない叫んでばかりの取調べで,あまり共感できませんでした。むしろ,いまでも重大事件だと,あんな極端な取調べがあってるのかしら。

全体的に重苦しく,結末も気持ちのよいものではないので,観てて楽しくなるような感じの作品ではないですが,検事が追い求めるべき「正義」について考えたい方にはおすすめです。

「民事紛争ネットで解決」日経新聞記事の感想

令和元年7月7日(日)日経新聞の一面に,木になる記事がありました。先般行った支部交流会(裁判のIT化)にもかかわる内容ですので,取り上げます。

記事によると,政府は,離婚や交通事故といった民事紛争を,インターネット上で解決する仕組みづくりに乗り出すとのこと。記事の書きぶりからは,裁判のIT化の話をしているのか,裁判外の紛争解決のための仕組みの話も含むのか,判然としないところがありましたが,おそらく裁判のIT化の話をしているのでしょう。

ネット上で手続ができること自体は,悪いことではないと思いますが,情報管理の問題やシステム構築をどうするのかなど,課題は山積みのように思います。また,紛争を解決するという事柄の性質上,すべてネット上で行って当事者の納得のいく解決ができるのかも,疑問がないわけではありません。ある程度は,出頭・対面なども併用していくことは必要ではないかということも踏まえて,検討していただきたいと思います。

仕組みが出来上がることで,支部機能が縮小し,支部のハコがなくなり,ハコがなくなることでより司法が遠くなり,結局司法的な解決を選択しなくなるという悪循環も考えられますから,そのような問題はないかということも,支部の弁護士から声を上げていかないといけないかもしれませんね。

支部交流会 2019

令和元年6月29日(土)13:30~17:00,恒例となっています支部交流会が開催されました。九州弁護士会連合会の協議会が主催するもので,支部の弁護士が集まり,年1回,本庁にはない支部特有の問題について議論する交流会です。今年で10周年となり,感慨深いものがあります。私も,毎年,参加させていただいております。

今年の大きなテーマは,裁判のIT化と支部機能の縮小の懸念についてでした。そもそも,支部にはなかなか情報が伝わらないところがありますので,まずは情報共有のため,議論状況にお詳しい方々の報告をいただきました。これを踏まえ,支部に与える影響という観点で,活発な意見交換がなされております。最高裁は,IT化が支部の統廃合にただちにはつながらないというものの,IT化によって支部の事件数がさらに減っていけば,必然,統廃合の対象になるのではないかという懸念もあり,みなさん真剣に議論いただきました。大変有意義な意見交換ができたのではないかと思います。西南学院大学の民訴法の先生にもコメントいただくなどでき,大変貴重な機会となりました。

私は,ディスカッションの司会役を仰せつかっております。IT化に関して盛り上がったところで,関連する,支部の非常駐の問題を取り上げて議論いたしました。現在,支部では,平戸,壱岐,佐伯,竹田,山鹿,阿蘇,知覧,八女が,裁判官の常駐しない地域になっています。なかなか期日が入らずに進行が遅延するなどの問題があり,填補の裁判官の負担も重くなるため適切な審理ができるのかという懸念もあります。ここ最近では,中津の簡裁が,これまで常駐の裁判官がいたにもかかわらず,非常駐になってしまい,支部には裁判官がいても,簡裁にはいないという新たな(?)問題も生じているように思います。そのようななかで,運用の改善につき努めている支部もあり,これらを紹介いただくなどして,今後の運動のための参考とすることができました。

その他,現在,中央一極集中の傾向が強まり,過疎偏在地域はおろか,地方都市でも登録者が減っているような現状もあるようで,地方で志をもって活動する弁護士を採用するため,どのような努力・工夫があり得るかなどを議論しました。

毎年,支部の状況について勉強させていただき,最近では運営側にもかかわらせていただいておりますが,これからも,弁護士過疎偏在問題への対応を続けていき,そので学んだことを,豊前での弁護士活動にも還元していきたいと思います。

パブリックロイヤーのすすめ @九大ロー 2019

令和元年6月28日,九大ロースクールにて,公設関係の事務所の説明会を行いました。私はひまわりLOの説明担当で,弊所の取り組み,地方で活動する魅力・やりがいをお話ししてまいりました。

参加者は,しきりにうなずいてくれたり,反応も良かったと思いますし,「どんな弁護士になりたいのか」という問いかけがすごく響いた,興味をもったというご意見もあり,お話しした甲斐もあったかなと思っています。

昨今は,弁護士の志望についても,中央一極集中の傾向が強まっており,地方で働くことに意義を見出す方は減少傾向と聴いています。現地で働いている私たちが,しっかりと情報発信し,興味をもっていただいた方が,その道を歩むことにつき,サポートができるよう,私も努力していきたいと思います。

私は,九州管内での弁護士過疎・偏在問題に対応していくことを,弁護士人生のテーマにしていますので,今回のような機会も大事にしながら,引き続き活動していきます。

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裁判員制度,施行10年

令和元年5月21日,裁判員制度が施行10年を迎えました。はやいものですね。

私も,裁判員裁判の経験がありますが,本当に大変です。しかし,私が担当する行橋支部では,裁判員裁判はできません。裁判員裁判は,3人の裁判官の合議体で行う必要があるところ,そもそも行橋支部には3人も裁判官がいないからです。私が担当するとすれば,福岡本庁,小倉支部といったところでしょうか。そのため,経験は比較的少ないのかもしれませんが,実際の経験を踏まえ,かつ,法廷技術を磨くための研修にもたびたび参加している(法廷技術研修を修了した旨の修了証書もありますよ(笑))なかで,10年前よりも確実に弁護活動が深化していると思っています。

事由と正義2019年5月号や,5/21の各新聞報道においても,さまざま記事が出されており,四宮啓先生,高野隆先生,髙山巌先生(以上「自由と正義」),桜井光政先生(日経新聞)など,刑事弁護の第一人者というべき方々のコメントが散見されました。

各誌をみていると,おおむね,

①参加した裁判員は,95%を超えて「よい経験だった」と述べているが,浸透していない,

②そのため,選任手続への無断欠席が目立つ,

③しかし,裁判員制度の目的は,裁判員に社会経験をさせるためではなく,被告人のために一般人の常識を尊重したうえで適切な審理をすることであるから,この点を忘れてはならない,

④刺激証拠の扱いなど,過度に裁判員への配慮をしすぎているのではないか,

⑤守秘義務が厳しすぎるのではないか,適切に理解されていないのではないか,

⑥公判前整理手続の長期化はどうにかならないのか…

などと言った内容に見えました。

私のまわりで,裁判員として参加したという話を,あまり聞いたことがないのですが,これも守秘義務による委縮効果(?)なのでしょうか。

いずれにせよ,私の実感としても,裁判員裁判は,従来の書面主義・五月雨式の審理から脱却を図り,直接主義・口頭手主義に沿う審理の変化をもたらしたもので,AQ先行型審理,保釈の運用の変化(?)など,これが裁判官裁判にももたらした影響が大きいと考えています。

裁判員裁判そのもの,又はこの経験を生かした裁判官裁判をなすべく,私もさらに精進してまいります。