私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。

I am Sam/アイ・アム・サム

I am Sam/ アイ・アム・サム。知的障害者である父親が,娘の養育権を得るために奮闘する物語です。養育権争いと言っても,夫婦間の争いではありません。母親は,映画の冒頭で,子を産んですぐに失踪します。父親は,娘を大切に,大切に育てます。そんな彼を温かく見守る周囲。しかし,7歳ほどの知能しかもたない彼のことを,7歳に至る娘は,「周囲と違う」と感じるように。そのことを話すと,悲しそうな父親。娘は,父親への罪悪感からか,積極的に学習するのに抵抗を感じるようになります。それを見た周囲が,ある事件を契機として,父と娘を引き離そうとするのです。父親は,弁護士とともに,娘の養育権を主張して,奮闘するのです。

この映画は,カメラワークが独特です。手持ちのカメラでしょう。不安定な視点という表現なのでしょうか。若干酔ってしまうのがたまにキズですが,表現方法としてはありかなと思います。

主人公サムが勤めるのは,スターバックス。スターバックスは,積極的に障害者雇用をしており,そのような制度もあるようなのですが,「特別なことはしてない」ということで,あまりアピールしていないのだとか。映画では,そんなスタバで,従業員やお客様から見守られるサムの図がほほえましいです。

随所にビートルズの音楽,小ネタが。私は,全部が全部わかるわけではないですが,探してみると面白いかもしれませんね。

障害者・親権争い・親子の絆といった,重いテーマに挑む映画ですが,親子の絆って素晴らしいということを,改めて感じさせられます。健常者でも,子育てや,親子の関係は,難しいものがありますよね。では,障害者は?映画を見ながら,親子関係について,改めて考えてみませんか。

ブラック・トライアングル/虚像のトライアングル

損害保険会社,自賠責システムを担う国,裁判所。このトライアングルが,交通事故被害者にとってどう映るか。被害者側(請求側)弁護士の立場から,厳しく批判的な意見をしたためているのが,「ブラック・トライアングル」「虚像のトライアングル」です。

執筆しているのは,交通事故を専門的に扱っている弁護士法人サリュの代表弁護士です。谷清司弁護士は,もともと保険会社側の弁護士として活動し,その内情を熟知しており,その経験を生かして,今度は被害者側の弁護士として活動を続けているとのことです。弁護士過疎地で多様な事件処理をしていたというエピソードも,地方の弁護士としては,興味深く拝見しました。

治療費や休業損害の打ち切りの問題。意図を感じざるを得ない医師への照会や被害者への執拗な電話攻勢。示談代行の名のもとに保険会社主導で交渉が進んでしまう実態。後遺障害認定:12級ー14級ー非該当の境界の問題。障害者差別的な後遺障害の運用(既存障害の問題点)。保険会社顧問医による意見書がかかえる問題。素因減額にかかる問題。画一・硬直化した自賠責・任意保険会社の判断に従ってしまう裁判所。比較法的にみた交通賠償法務の後進国である日本…

実に多くの問題点に切り込んでおり,読みごたえがあります。特に,「虚像のトライアングル」に詳論されている,比較法的にみた日本の賠償法の分析は,大変勉強になりました。フランスの賠償法は進んでいるな,としみじみ感じたところです。フランスには交通事故賠償のための特別法が整備されており(日本は一般法である民法で処理し,せいぜい自賠法がある程度),そこでは保険会社に対し,被害者の権利に関する情報提供を義務付け,賠償案の提案期間は原則として事故から8か月以内にしなければならないとし,その間に症状固定に至らない場合もその時点で賠償前渡し金が支払われ,症状固定後5か月以内に最終の賠償提案をしなくてはならない,とされています。これらのルールを守らなかったり,明らかに不十分な賠償案であるのであれば,制裁が課されるなどするそうです。日本とはかなり異なるシステムになっています。

私も,被害者側(請求側)の担当をすることがよくありますが,制度自体のかかえる問題点,基準の問題点なども考えながら,目の前のご依頼者様のため,個別具体的に,被害救済に尽力していきたいと思いました。

生きていくあなたへ

105歳まで生涯医療に携わってきた日野原重明先生。昨年7月,残念ながらお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。

その直前に行われたインタビューをまとめた「生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したっかった言葉」。

1つ1つのお話が,大変興味深く,感銘を受けるものでした。特に,各章の最後,大きな字で短い言葉がいくつも紹介されています。これは,先生が,生前に書き溜めていた言葉をそのまま掲載しているということ。言葉の含蓄,言葉の持つ力といったものを感じられました。言葉を扱う職に就いている者として,大変考えさせられるものでした。

第三章にて,「ゆるすことは難しい」というお話があります。先生は,「ゆるす」ことを考えるとき,「恕す」という字を思い浮かべるそうです。この漢字は,心の上に如くと書く。つまり,ゆるすとは,誰かに許可を出すとか悪いことをした人をゆるすということではなく,「相手のことを自分のごとく思う心」という意味なのだそうです。相手をゆるすという行為は,自分をゆるす行為。ゆるせない心を持ち続けることはしんどく,だからこそゆるすことで,私たちは楽になれる。そのような話が紹介されています。

場面は違うのかもしれませんが,私達が扱う「紛争」の場面においても,誰かを“ゆるす”かどうかということが問題になり得ます。相手をゆるすのではなく,相手=自分をゆるすという考え方は,代理人として当事者に深くかかわる私達も見落としがちな考え方ではないかと思います。ある弁護士が,紛争はいつか必ず解決に至る(事件処理ができる場合もあれば,時間が解決してくれるときもあり,結末に至る過程はともかくいつか必ず解決するという趣旨だったと思います。)と話していたことを思い出しました。おおいに参考になるお話と思いました。

先生は,よど号ハイジャック事件において,人質にされた経験がありますので,複数個所において,その話に言及があります。なかでも,ユーモア,笑いの効用をお勧めしますというくだりで,ハイジャック犯に対し,乗客の1人が,「ところでハイジャックって何ですか?」と尋ねた際のエピソードが印象的。犯人もその質問にうまく答えられず(日本で初めてのハイジャック事件であり,当時言葉は浸透していない),先生が,ハイジャック犯に,「ハイジャック犯がハイジャックを知らないとはいかがなものか」と言ったそうです。機内は,大笑い。犯人も,乗客もです。その瞬間は,なんだか温かい雰囲気につつまれ,そのような経験から,どんなときにもユーモアが必要だと感じたということです。

このような極限状況のなかというのは想像もつきませんが,ユーモアの重要性は痛感するところです。よく,「弁護士は話がつまらない」と言われてしまうところでもありますが,人間力を磨いて,いつも笑い声に溢れた私達でありたいと思いました。

とりとめもない感想ですが,本書は読みやすく編集されており,それでいて内容は大変深く,医療的なものだけではなく広く人生全体について考える契機にもなると思います。広く読まれるとよいなと思いました。

弁護人(韓国映画)

釜林事件(ふりんじけん)-1981年に,韓民国の釜山で発生した事件。大学生や社会活動家たちが拘留され,尋問された。22人の被告のうち19人に1年から7年の有期懲役の判決が下されたが,事件の中では,逮捕した上での自白の強要があったとされる。「釜林事件」という名称は,同時期にソウルで行われた同様の捏造弾圧事件である学林事件を踏まえた「釜山学林事件」の意味。

ソン・ガンホ主演,2013年の韓国映画,「弁護人」。実在の釜林事件を題材にした映画です。劇中では,「読書会事件」と呼ばれ,単なる読書会がアカの集まりとして弾圧されていました。 ひとまず,映画のタイトルに惹かれて鑑賞しました。弁護士の生き方を考える上で,非常に響くものがある事件でした。当初は,不動産ブームに乗っかって司法書士の仕事を奪い,「あなたの大事なお金を守ります」と銘打って税務で財を築くなど,お金もうけに走っていた弁護士が,ある事件をきっかけに,いわゆる人権派弁護士として,国家権力と闘っていく。そんな物語です。韓国では,動員総数1100万人の大ヒットだったとか。

韓国の刑事弁護法制はわかりませんが,法廷の尋問等は,少なくとも日本の法制を参考にしたら相当に問題があると思いました。主尋問なのに誘導尋問。威圧的尋問。意見を押し付ける又は意見を求める尋問。そうした細かな点はともかく,しかし,談合・デキレースに近い公安法事件に一石を投じ,最後まで闘う姿は,考えさせるものがありました。

韓国映画は,,,とひとくくりにすると怒られそうですが,オーバーで演出過剰と思われるところもあるものの,ストーリーは実話を元に考えさせる内容で,ぜひ多くの人に見ていただきたいと思いました。(拷問のシーンなど,グロイシーンもありますので,ご注意を。)

ブリッジ・オブ・スパイ

「スパイ」というタイトルですが,スパイアクション映画ではありません。冷戦時代,水面下で行われていた交渉に関し,弁護士の活躍を描いた,サスペンス映画です。

弁護士ジム・ドノヴァンは,ソ連のスパイの弁護を引き受けることになります。バッシングを受けながらも,懸命に弁護するドノヴァン。なんとか死刑を回避することができたが,その先には,さらに困難なミッションが待ち受けていました。冷戦下のソ連・東ドイツを相手に,捕虜となったスパイ同士の交換です。もともと,保険を専門に扱う事務所の腕利き弁護士として活躍していたドノヴァン。弁護士の真骨頂,交渉力が光る傑作です。

弁護士は,実に様々な業務を担当していますが,歴史的には,このような大役を担っていた方もおられるのですね。おすすめの一作です。ぜひともご覧あれ。

「ビジネスパーソンのための 契約の教科書」

みなさまは,日々,契約書をつくっていますか。私たちの日常は,日々の買い物(売買契約)をはじめ,住居の賃貸(賃貸借契約),お仕事の関係(雇用契約,委任契約)などなど,契約で満ち溢れています。法律家の立場からは,「契約書は大事です。契約書をつくりましょう。」とアドバイスするのですが,実際,なんでもかんでも契約書をつくってられないという事情もよくわかります。さて,みなさまに使えるアドバイスをするには,どうすればよいかな…と,日々頭を悩ませているわけですが,最近読んだ福井健策「ビジネスパーソンのための 契約の教科書」がわかりやすく参考になったので,少しご紹介させていただきたいと思います。

著書は,結論として,3つの黄金則をかかげています。

①契約書は読むためにある ②「明確」で「網羅的」か ③契約書はコスト。コストパフォーマンスの意識をもつ。

著者自身は,「あまり新鮮味のない」と謙遜されておられますが,なるほどなと思ったところです。

著者の説明は,本を読んでいただければわかるので,以下は,私なりに解釈・理解したところを記しました。

①契約書は,間違っても,押印するためだけにあるのではありません。民法学者川島武宜の名著「日本人の法意識」(岩波新書)は,「我われ日本人は法律や契約を単なる建前と考える傾向が強く,よって必ずしも重視せず,実際にトラブルがあっても話し合いや人間関係で解決に至ると考えがち」であると指摘しています。日本人の考えは,和を尊ぶものとして,尊重されてしかるべきだとは思いますが,だからといって,後からなんとかなる(する)から,契約書を作らないでよいということにはなりません。むしろ,もめごとを回避したいという日本人の法意識からしても,本来,契約書をつくり,内容をよく練り,納得の上で契約をするというのが大事なのではないか。相手方が,親切にも書面をつくってくれたので,なかみも読まずに「変なことは書いてないだろう」と印を押してしまうのはやめましょう。その行為は,せっかく相手が契約内容を詰めようと考え,手間暇かけてつくった契約書を軽んじるような行為とも言うことができ,逆に相手に失礼とも言えるかもしれません。契約書を読むのです。読んで,理解して,理解できないところがあったら誰かに聞いて,そして困るところがあれば直してもらう。あらゆる契約書は,そのためにあるのです。「読まずにこの場で印鑑を押せ。」という空気を感じたら,遠慮せずに,「では,持ち帰って読ませていただきます。」と言いましょう。これがビジネスシーンであれば,ビジネス相手は,その「空気」を利用しているのかもしれませんよ。

②契約書を作るメリットは,ⅰ)後日の証拠,ⅱ)背中を押す・腹をくくる,ⅲ)手続上の必要,ⅳ)意識のズレ・見落し・甘い期待の排除など,さまざまです。契約書には,取引において交渉漏れはないか,プロジェクトを検討するにあたって見落しはないかなどの「チェックリスト」としての機能もあり(ⅳ),契約書を作成する側からは,この機能も見落とせません。「こんなはずじゃなかった」という場面を防止できるにはよい方法です。似たような取引を今後も行うのであれば,今回の取引で不都合が出たところを,今回の取引の契約書に追加していくことで,ノウハウの蓄積にもなります。そうやって,網羅的に検討した内容を明確に書面化すれば,限りなくもめごとを減らせるのではないでしょうか。「明確に」書面化するのが,契約担当者(契約書作成者)の仕事です。「二義を許さない」(他の意味にはとれない)ような文章を目指しましょう。やり方は簡単です。自分ではない他の人にチェックしてもらって,自分の考えているとおりに読んでもらえるかを見ていけばよいのです。

③契約書を作成するデメリットは,手間・時間・費用といった「コスト」です。契約書をつくるかどうかは,さきに述べた契約書作成のメリットが,コストを上回るかどうかで判断すればよいでしょう。契約書作成のメリット>コスト,です。コストの方が大きいなということであれば,今回は見積書も出したし大丈夫だな,覚書程度は書いた方がいいかな,いやFAXで簡単な書面を送れば十分だろう,ええい金額も小さいしメールで十分だ…など,こうした判断や交渉ができて,力を注ぐべきところとそうでないところが区別できるのが,本当の契約巧者ではないでしょうか。

なるほど。私も,契約書作成にコスト意識をもって,日々の経営や業務に勤しんでいきたいと思います。

「檻の中のライオン」

数年前から,憲法に関するニュースが,ホットです。憲法改正要件に関する憲法改正の問題,安全保障関連法制の問題,緊急事態条項の創設に関する問題,特定秘密保護法に関する問題など,目白押しです。

憲法は,司法試験受験においても,非常に難しい受験科目の1つでした。なんだかムズカシイ言葉が並んでていて,その言葉を理解することが一苦労。多少なりとも勉強しても,それが実際の社会でどんな問題が生じているのかを把握するので一苦労…。学生時代,まわりの方も,「憲法は苦手」という人が,多かったものです。

弁護士楾大樹(はんどう・たいき)著「檻の中のライオン」(かもがわ出版)という本があります。ライオン=権力,檻=憲法というたとえを使って,憲法の全体を説明した,異色の憲法入門書です。 イラストが多用されていてわかりやすく,分厚くもなく,それでいて憲法全体の説明を試みており,末尾には,最近の憲法問題についてのわかりやすいガイドもついています。学生時代に読みたかったなあと思ったくらいです。

私は,弁護士会の災害対策委員会で,災害問題にも携わっておりますので,さきに述べた,緊急事態条項については特に関心を寄せています。こちらについては,弁護士永井幸寿著「憲法に緊急事態条項は必要か」(岩波ブックレットNo.945)という本が,非常に薄く,それでいてわかりやすくまとまっていると思いましたので,おすすめします。

私は,地域の方々への法教育にも力を入れたいと考えております。たとえばこれらのような本も活用し,若い世代から,国の根幹にかかわる憲法問題にも興味をもってもらいたい。一選挙権者・一主権者として,地方から日本をよくするお手伝いをできればなあと思っています。18歳から選挙権が与えられ,若い世代が,「そもそも憲法って?政治って?なんのために選挙に行くの?」という悩みを抱えているところではないかと思うところでもあます。これから,地域の方々とお話をして,弁護士の立場からお力になれるところにつき,講演会などいろいろと企画もできたらなと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

「運命の逆転」

本日は,映画のレビューを書きます。 みなさんは,クラウス・フォン・ビューロー事件をご存知でしょうか。上級階級のスキャンダルということで世をにぎわせたという冤罪事件です。

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【クラウス・フォン・ビューロー事件】

大富豪クラウス・フォン・ビューロー氏が,突発性低血糖症を患っていた妻サニーに対し,インスリンを過剰投与することにより,妻を植物状態にしたという被疑事実で裁判にかけられた,殺人未遂被告事件。 被告人のカバンからインスリンの注射器が出てきたなどされていたが,当時のインスリンは要冷蔵であったため,カバンに入っていたインスリンに効力があるのかなど,いくつも疑問点があった。 クラウスは有罪とされたが,高名なハーヴァード大学教授アラン・ダーショウィッツを雇って控訴し,弁護団は,警察の捜査を丁寧に検討し,その杜撰さを証明した。 その後,被告人は,無罪となる。 妻サニーは,28年間植物人間のまま,平成20年12月に息を引き取った。

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映画は,植物人間になった妻の登場からはじまります。映画のなかでは,基本的に,クラウス・フォン・ビューロー氏やアラン・ダーショウィッツ氏視点で,裁判が進んでいく様子が描かれますが,時折,植物人間である妻目線(ナレーション?)のセリフがはさまり,錯綜する事実関係,思惑,深まる謎などが表現されます。みどころ満点のサスペンスです。ただし,映画が公開された時点において,当事者がほとんど生存していたこともあって,結末は,少々ぼかされていたようです。

弁護士目線でみても,アラン・ダーショウィッツ氏を中心に,衝突しながらも,多くの弁護士が,事実関係,法律関係,裁判例などを徹底的に洗い出し,取り組もうとする姿,一方で,依頼人を信じてよいものかどうかという葛藤のなかで,弁護活動を進めていく難しさなどが描かれており,考えさせられるところがありました。

この作品でアカデミー賞主演男優賞を受賞した,ジェレミー・アイアンズ氏(クラウス・フォン・ビューロー役)の怪演もみどころです。 ぜひ1度,鑑賞してみてください。

裁判員裁判声掛け事件

平成29年1月6日,新年早々に,裁判員声掛け事件の判決が出ました。新聞記事をみた程度で,詳細を知っているわけでも,事件記録を見たわけでもありませんから,軽々なことは申し上げられませんが,裁判員制度の根幹である,裁判員の保護につき,あらためて考えなければならないですね。

ところで,先日,久しぶりに,三谷幸喜原作・脚本「12人の優しい日本人」を見ました。これは,著名な映画「12人の怒れる男」をベースに,仮に日本に陪審制度があったら…こうなる!という姿を描いたものです。三谷幸喜作品のなかでは,他の作品に比べてあまり知られていないように思われますが,私のおすすめです。「12人の怒れる男」は,ミステリー/シリアスタッチで,陪審員は真実を発見するものだという姿が全面に押し出されているように感じるところですが,対して「12人の優しい日本人」は終始コメディー・タッチであり,しかし結局真面目に議論して結論に到達するということで,非常に国民性やその国の考え方があらわれているのではないか,そのコントラストが面白いと思っています。ぜひ見比べてください。

さまざまな議論のある裁判員制度ですが,裁判員の多くは,「よい経験になった」など,前向きなコメントをしているようです。さきに紹介した「12人の優しい日本人」ではありませんが,日本人は,あまり争いを好まないながらも,いったん引き受けると,引き受けたからには真面目にやる(義理人情の世界?)というような国民性をもっているように思います。本件のような事件は,どちらかといえば例外的な事件なのでしょうし,普段裁判員は自分が危険いさらされることなどはあまりイメージしていないものではないかと思いますが,いったんこのような事件が報道されると,国民が不安に陥り委縮して,もともとの趣旨である「国民の常識を裁判に反映させる」という原点に,大きな支障が生じることになるものと思います。残された課題は大きいと思います。裁判員保護のため制度的な整備は必要ないのか,裁判所の個別の運用で見直すべき点はないのか,私も法曹の一員として,検討を続けたいと思います。

【参考:裁判員法】

第七章 罰則

 (裁判員等に対する請託罪等) 第七十七条 法令の定める手続により行う場合を除き、裁判員又は補充裁判員に対し、その職務に関し、請  託をした者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。 2 法令の定める手続により行う場合を除き、被告事件の審判に影響を及ぼす目的で、裁判員又は補充裁判  員に対し、事実の認定、刑の量定その他の裁判員として行う判断について意見を述べ又はこれについての  情報を提供した者も、前項と同様とする。

 (裁判員等に対する威迫罪) 第七十八条 被告事件に関し、当該被告事件の裁判員若しくは補充裁判員若しくはこれらの職にあった者又  はその親族に対し、面会、文書の送付、電話をかけることその他のいかなる方法をもってするかを問わず  、威迫の行為をした者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。 2 被告事件に関し、当該被告事件の裁判員候補者又はその親族に対し、面会、文書の送付、電話をかける  ことその他のいかなる方法をもってするかを問わず、威迫の行為をした者も、前項と同様とする。