私(西村幸太郎)の一連のブログ記事です。私がどういう人間なのか、どういう活動をしているのか、どんなことを考えているのか、どんな知識やスキルを持っているのか、信頼に足る弁護士か、などなど、たくさんの疑問をお持ちの方もおられると思います。そのような方々は、是非こちらの記事を御覧ください。
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ほどよく距離を置きなさい
「九州第1号の女性弁護士」として,60年を超える弁護士人生を活躍する,湯川久子弁護士。先生のご著書,「ほどよく距離を置きなさい」を読んで,大変感銘を受けましたので,記しておきたいと思います。
先生は,民事裁判の世界の法は,「裁く」のではなく「ほどく」ための法だと言います。裁判の「勝ち」「負け」で評価されがちの弁護士の世界において,はっとさせられる言葉です。エッセイ風に記述がされており,読み進めるとその章ごとに,短くまとめられた含蓄あるフレーズが示されます。たとえば,「『期待どおりにならない』のが子育て。でも,子どものために流した涙が 親も子も育ててくれる -子は言うことを聞かないが,親の姿を見て学ぶ」「人生は自分だけのもの。でも,その命は,誰かにもらい,活かされ,ここにあるもの -「1人で生きていくなんて,おこがましいことです」「『人に助けてもらうこと』『自分でできること』その境目は自分で見つけるという自立 -気品のある老い方をする」といった感じ。さすが,言葉の深みが違うなと思う内容です。弁護士の活動だけでなく,人生の指針としても,大変参考になります。
私も,先人に負けないよう,日々精進していきたいと,改めて決意を新たにしたところです。
I am Sam/アイ・アム・サム
I am Sam/ アイ・アム・サム。知的障害者である父親が,娘の養育権を得るために奮闘する物語です。養育権争いと言っても,夫婦間の争いではありません。母親は,映画の冒頭で,子を産んですぐに失踪します。父親は,娘を大切に,大切に育てます。そんな彼を温かく見守る周囲。しかし,7歳ほどの知能しかもたない彼のことを,7歳に至る娘は,「周囲と違う」と感じるように。そのことを話すと,悲しそうな父親。娘は,父親への罪悪感からか,積極的に学習するのに抵抗を感じるようになります。それを見た周囲が,ある事件を契機として,父と娘を引き離そうとするのです。父親は,弁護士とともに,娘の養育権を主張して,奮闘するのです。
この映画は,カメラワークが独特です。手持ちのカメラでしょう。不安定な視点という表現なのでしょうか。若干酔ってしまうのがたまにキズですが,表現方法としてはありかなと思います。
主人公サムが勤めるのは,スターバックス。スターバックスは,積極的に障害者雇用をしており,そのような制度もあるようなのですが,「特別なことはしてない」ということで,あまりアピールしていないのだとか。映画では,そんなスタバで,従業員やお客様から見守られるサムの図がほほえましいです。
随所にビートルズの音楽,小ネタが。私は,全部が全部わかるわけではないですが,探してみると面白いかもしれませんね。
障害者・親権争い・親子の絆といった,重いテーマに挑む映画ですが,親子の絆って素晴らしいということを,改めて感じさせられます。健常者でも,子育てや,親子の関係は,難しいものがありますよね。では,障害者は?映画を見ながら,親子関係について,改めて考えてみませんか。
ブラック・トライアングル/虚像のトライアングル
損害保険会社,自賠責システムを担う国,裁判所。このトライアングルが,交通事故被害者にとってどう映るか。被害者側(請求側)弁護士の立場から,厳しく批判的な意見をしたためているのが,「ブラック・トライアングル」「虚像のトライアングル」です。
執筆しているのは,交通事故を専門的に扱っている弁護士法人サリュの代表弁護士です。谷清司弁護士は,もともと保険会社側の弁護士として活動し,その内情を熟知しており,その経験を生かして,今度は被害者側の弁護士として活動を続けているとのことです。弁護士過疎地で多様な事件処理をしていたというエピソードも,地方の弁護士としては,興味深く拝見しました。
治療費や休業損害の打ち切りの問題。意図を感じざるを得ない医師への照会や被害者への執拗な電話攻勢。示談代行の名のもとに保険会社主導で交渉が進んでしまう実態。後遺障害認定:12級ー14級ー非該当の境界の問題。障害者差別的な後遺障害の運用(既存障害の問題点)。保険会社顧問医による意見書がかかえる問題。素因減額にかかる問題。画一・硬直化した自賠責・任意保険会社の判断に従ってしまう裁判所。比較法的にみた交通賠償法務の後進国である日本…
実に多くの問題点に切り込んでおり,読みごたえがあります。特に,「虚像のトライアングル」に詳論されている,比較法的にみた日本の賠償法の分析は,大変勉強になりました。フランスの賠償法は進んでいるな,としみじみ感じたところです。フランスには交通事故賠償のための特別法が整備されており(日本は一般法である民法で処理し,せいぜい自賠法がある程度),そこでは保険会社に対し,被害者の権利に関する情報提供を義務付け,賠償案の提案期間は原則として事故から8か月以内にしなければならないとし,その間に症状固定に至らない場合もその時点で賠償前渡し金が支払われ,症状固定後5か月以内に最終の賠償提案をしなくてはならない,とされています。これらのルールを守らなかったり,明らかに不十分な賠償案であるのであれば,制裁が課されるなどするそうです。日本とはかなり異なるシステムになっています。
私も,被害者側(請求側)の担当をすることがよくありますが,制度自体のかかえる問題点,基準の問題点なども考えながら,目の前のご依頼者様のため,個別具体的に,被害救済に尽力していきたいと思いました。
スタンドアップ
セクシャルハラスメント-日本では,福岡セクシャルハラスメント事件において,晴野まゆみさんが,全国初のセクハラ訴訟を提起し,勝訴したことによって,広まったと言われています。平成元年1月には,流行語大賞にもなりました。
この事件において,弁護士は,外国ではすでにセクシュアルハラスメントという概念が広まっていたことを知ったといいます。では,そこでいう外国のリーディング・ケースとは?…映画「スタンドアップ」は,1984年にアメリカで初めてセクシュアルハラスメント(性的迫害)の集団訴訟を起こし,1998年に和解を勝ち取った女性の実話に基づいた衝撃作です。
【ネタバレ注意】 主人公は,レイプにより望まぬ出産を強いられた過去をもつ女性。息子にはそのことを話しておらず,衝突しながらも,大切に育てている。
生活の糧を得るため,鉱山で働くことになるが,そこでの労働環境は,ひどいものであった。入社前には妊娠していないかの検査をされ(妊娠している女性は働けないという意識のあらわれ?),入社初日に「医者に聞いたぞ。なかなかイイ体してるんだってな」とまで言われる。男性ばかりの職場で,女性職員は差別的な取り扱いを受け,汚物をまかれ,いつレイプされるか怯えながら過ごす…。相談しても聞き入れられず,「辞めるのを認めよう」と言われ,だれも助けてくれない,そんな毎日に耐えかねた主人公は,訴訟提起する決意をします。
彼女の望みは,きちんと仕事に就き,2人の子を育てていくことだけなのに。
訴訟では,主人公を悪者のように問い詰められ,必死に隠し通してきた過去を暴露される。同じく被害を受けているはずの同僚女性は,仕事を失い又は標的にされることをおそれ,嘘の供述をする。しかし,主人公の必死の訴えが奏功し,最後には,みなが立ち上がり(stand up),勝訴的和解を手にする,という物語です。
実話をベースにしているということですが,こんなことがわずか40年ほど前に起こっていたというのは,衝撃です。「言葉の暴力」などといったレベルではなく,明らかな迫害のように思えますが,女性の権利として声高に主張できるようになるまでの歴史の一端を見たような気がしました。
法廷でなされる主張も,セクハラの構造的な問題をよくあらわしているもののように感じます。たとえば,「本当に嫌ならば拒否しているはずだ」など,いまでもよくなされる主張ですが,本作でも声高に主張されていました(この点,最判H27/2/26にて,「被害者が明白な拒否の姿勢を示さなかったことを(加害者)に有利に斟酌することはできない。」とされています。)。
テーマは重く,楽しんで観れるというタイプのものではないですが,非常に考えさせられるものがあり,ドラマとしても見ごたえのあるものだったと思います。おすすめです。
許すな!パワー・ハラスメント
セクシュアル・ハラスメントは,英語圏で使われるれっきとした英熟語であり,アメリカ判例法も形成されてきたものです。一方,パワー・ハラスメントは,日本人によって英単語を組み合わせてつくられた造語です(弁護士になって初めて知りました。)。
バブルのころ。企業は目覚ましい発展を遂げ,労働者もその波に乗っていたといえます。ところが,バブルが崩壊し,リストラの波がおそいます。上司からのプレッシャーもきつくなってきます。メンタルヘルスのバランスを崩す社員が増え,社会問題化されました。そんななか,2003年,岡田康子著「許すな!パワー・ハラスメント」が出版されます。同氏は,「パワハラほっとライン」という電話相談を主宰する㈱クオレ・シー・キューブの代表取締役です。同氏が,パワハラの名付け親と言われており,本の出版から,徐々に言葉が浸透していき,いまではその言葉を知らない者はいないといってもよいでしょう。
その後,2012年,それまでの議論の蓄積を踏まえ,厚労省が,パワハラを再定義します。
2003年の本ですから,その後の議論は踏まえられていませんが,さすが原点ともいうべき,示唆に富む事例が多数掲載されています。電話相談の事例の蓄積をもとに記載されているため,説得力があります。「なぜ,この上司はパワハラをするのか」という背景事情,「もし,あなたがパワハラ被害に遭ったら」という対処法に至るまで,具体的に書いてあり,一読の価値ありです。
興味がある方は,ぜひ一読してみてください。
平成30年8月28日,ハラスメントに関する講演会のご依頼をいただいています。この機に,私自身が改めて学びなおし,身のある講演会にしていきたいです。
コンカッション
コンカッション。(脳)震盪などを意味する言葉です。同名のタイトルの映画(ウィル・スミス主演)では,ナショナル・フットボール・リーグの選手たちと慢性外傷性脳症との関連を発見した医師の実話に基づくドラマが展開されています。
オマル医師は,新進気鋭の医師・検視官。あるとき,アメフトを引退した花形選手の解剖に携わり,そこで,画像に映らない脳の病気を発見する。「慢性外傷性脳症」と名付けられることになるその病気を,アメフト界では全面否定。両者の壮絶な闘いが展開されます。
キツツキは,木に頭を打ち付けるようにしますが,生まれつき頭に緩衝装置が組み込まれているそうです。では,人間は?フットボールで,何度も頭を打ち付けますが,人間には元来緩衝装置がないというのです。そのため,脳にダメージが蓄積されていくというのです。死後の脳の病理学的検査でしか診断することができず,生存中,画像検査だけではわからないというおそろしさがあります。
映画の内容としては,実話をもとにしたというだけあって,必ずしもサクセスストーリー,ハッピーエンドというわけではなく,悲劇も織り交ざりながら,全体として重厚な物語に仕上がっていると感じました。
交通事故を扱う弁護士としては,「画像に映らない疾患がある」ということを改めて考えさせられます。自賠責(損保料率機構)において,後遺障害等級認定をするにあたっては,医師の診断と画像所見,神経学的所見が重視されますが,それだけでは拾いきれない疾患というのも,あるはずです。そのような症例にあたった場合,きちんと症状を把握し,場合によっては基準を乗り越え,適切な後遺症を獲得していく努力が必要だなあなどと,考えさせられたものでした。
そういう難しい話はおいておいても,大変勉強になる,退屈もしない,興味深い物語ですので,ぜひ1度鑑賞されてみてください。
生きていくあなたへ
105歳まで生涯医療に携わってきた日野原重明先生。昨年7月,残念ながらお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
その直前に行われたインタビューをまとめた「生きていくあなたへ 105歳どうしても遺したっかった言葉」。
1つ1つのお話が,大変興味深く,感銘を受けるものでした。特に,各章の最後,大きな字で短い言葉がいくつも紹介されています。これは,先生が,生前に書き溜めていた言葉をそのまま掲載しているということ。言葉の含蓄,言葉の持つ力といったものを感じられました。言葉を扱う職に就いている者として,大変考えさせられるものでした。
第三章にて,「ゆるすことは難しい」というお話があります。先生は,「ゆるす」ことを考えるとき,「恕す」という字を思い浮かべるそうです。この漢字は,心の上に如くと書く。つまり,ゆるすとは,誰かに許可を出すとか悪いことをした人をゆるすということではなく,「相手のことを自分のごとく思う心」という意味なのだそうです。相手をゆるすという行為は,自分をゆるす行為。ゆるせない心を持ち続けることはしんどく,だからこそゆるすことで,私たちは楽になれる。そのような話が紹介されています。
場面は違うのかもしれませんが,私達が扱う「紛争」の場面においても,誰かを“ゆるす”かどうかということが問題になり得ます。相手をゆるすのではなく,相手=自分をゆるすという考え方は,代理人として当事者に深くかかわる私達も見落としがちな考え方ではないかと思います。ある弁護士が,紛争はいつか必ず解決に至る(事件処理ができる場合もあれば,時間が解決してくれるときもあり,結末に至る過程はともかくいつか必ず解決するという趣旨だったと思います。)と話していたことを思い出しました。おおいに参考になるお話と思いました。
先生は,よど号ハイジャック事件において,人質にされた経験がありますので,複数個所において,その話に言及があります。なかでも,ユーモア,笑いの効用をお勧めしますというくだりで,ハイジャック犯に対し,乗客の1人が,「ところでハイジャックって何ですか?」と尋ねた際のエピソードが印象的。犯人もその質問にうまく答えられず(日本で初めてのハイジャック事件であり,当時言葉は浸透していない),先生が,ハイジャック犯に,「ハイジャック犯がハイジャックを知らないとはいかがなものか」と言ったそうです。機内は,大笑い。犯人も,乗客もです。その瞬間は,なんだか温かい雰囲気につつまれ,そのような経験から,どんなときにもユーモアが必要だと感じたということです。
このような極限状況のなかというのは想像もつきませんが,ユーモアの重要性は痛感するところです。よく,「弁護士は話がつまらない」と言われてしまうところでもありますが,人間力を磨いて,いつも笑い声に溢れた私達でありたいと思いました。
とりとめもない感想ですが,本書は読みやすく編集されており,それでいて内容は大変深く,医療的なものだけではなく広く人生全体について考える契機にもなると思います。広く読まれるとよいなと思いました。
不祥事
先日,豊前市のコンプライアンス研修を行いました。それもひとつのきっかけとして,各組織で,どのような構造で,不祥事が起こるのか。関心をもって考えているところでした。
そんな折,池井戸潤「不祥事」を読みました。破天荒なヒロイン花咲舞が,銀行内部の暗部にメスを入れていく,痛快な物語です。自らも優秀なテラー(金銭出納係。銀行などの金融機関の窓口で,客と応対する人。)であり,かつ,臨店担当として,各行に指導をしていきます。
銀行という「組織」のなかで,複雑な「人間関係」を背景に,どうして事件が起こるのか,ミステリーの要素も含みながら,話が展開していきます。短編がいくつか並びますが,最終的には各話がまとまって最終章「不祥事」につながっていくという構成であり,読みやすく,それでいて,伏線等も楽しめ,もう1度読みたくなる良書です。
あくまで「正論」をぶつけて成敗していく花咲(相方の相馬は「狂咲」と呼んでいる。)の指摘・指導は,読んでいてスカッとします。奥ゆかしさのある日本人にとっては,逆にこうしたヒロインに憧れを感じる人も多いのではないでしょうか(もちろん,人間関係を円滑にするという古来からの知恵ですから,奥ゆかしさも大切です。)。こうしたキャラクターが映えるのは,裏を返せば,日本には言いたいことが言えないという雰囲気があるということかもしれませんね。
「不祥事」の背景として,妬み,そねみなど人間の複雑な感情が絡んでいることや,多忙な現場におけるさまざまな要素が絡み合っていることなどが描かれており,コンプライアンスを考える上でも,参考になるお話だったと思います。
弁護人(韓国映画)
釜林事件(ふりんじけん)-1981年に,韓民国の釜山で発生した事件。大学生や社会活動家たちが拘留され,尋問された。22人の被告のうち19人に1年から7年の有期懲役の判決が下されたが,事件の中では,逮捕した上での自白の強要があったとされる。「釜林事件」という名称は,同時期にソウルで行われた同様の捏造弾圧事件である学林事件を踏まえた「釜山学林事件」の意味。
ソン・ガンホ主演,2013年の韓国映画,「弁護人」。実在の釜林事件を題材にした映画です。劇中では,「読書会事件」と呼ばれ,単なる読書会がアカの集まりとして弾圧されていました。 ひとまず,映画のタイトルに惹かれて鑑賞しました。弁護士の生き方を考える上で,非常に響くものがある事件でした。当初は,不動産ブームに乗っかって司法書士の仕事を奪い,「あなたの大事なお金を守ります」と銘打って税務で財を築くなど,お金もうけに走っていた弁護士が,ある事件をきっかけに,いわゆる人権派弁護士として,国家権力と闘っていく。そんな物語です。韓国では,動員総数1100万人の大ヒットだったとか。
韓国の刑事弁護法制はわかりませんが,法廷の尋問等は,少なくとも日本の法制を参考にしたら相当に問題があると思いました。主尋問なのに誘導尋問。威圧的尋問。意見を押し付ける又は意見を求める尋問。そうした細かな点はともかく,しかし,談合・デキレースに近い公安法事件に一石を投じ,最後まで闘う姿は,考えさせるものがありました。
韓国映画は,,,とひとくくりにすると怒られそうですが,オーバーで演出過剰と思われるところもあるものの,ストーリーは実話を元に考えさせる内容で,ぜひ多くの人に見ていただきたいと思いました。(拷問のシーンなど,グロイシーンもありますので,ご注意を。)
菜根譚
「菜根譚」を読みました。中国の古典で,前集222条は,処世訓を集めたもの。後集135条は,世俗から離れた達人の楽しみを説くものです。特に,前集においては,仕事にも私生活に通じる教訓が多く,度々見返したいなと思いました。初読で特に気になった10の処世訓について,記載しておきたいと思います。
7「つよい酒やコッテリした料理に本物の味わいはない。本物の味はアッサリの奥にある。派手な才能の持ち主が達人とはかぎらない。達人は常に平凡。「平凡」の奥にある「非凡」こそ達人の境地である。」
38「魔性のものを降伏させるまえに,まずは自分の心を降伏させよ。自分に打ち克てば,どんな悪魔も退散する。横暴なものを制御するまえに,まず自分の気持ちを制御せよ。平静な気持ちには外からの横暴は侵入できない。」
42「彼が富を振りかざしてくるなら,われは「仁」で対抗し,権力を振りかざすなら「義」で立ち向かう。君子は支配者にまるめこまれることはない。強い意志と志をもてば,天地の神でもその自由を奪えない。」
51「人に施した恩恵は忘れたほうがよいが,人にかけた迷惑への償いを忘れてはならない。人から受けた恩恵に対して恩返しを忘れてはならないが,人に対する恨みならばサッパリ忘れたほうがよい。」
90「天が降伏を授けてくれないなら,私は徳を磨いて幸福を得る。天が苦役で酷使するなら,私は心を平安にして苦痛を癒す。天が苦境で道を阻んでも,私はわが道を貫きとおす。こうすれば,天でさえ私の生き方をどうにもできない。」
102「文章が最高の境地になると,奇抜なものはなく的確な表現だけが残っている。人格が最高の境地になると,奇抜なものはなくありのままに生きているだけだ。」
142「君子は,たとえ貧乏で経済面で救うことはできなくても,悩み苦しんでいる者に出会えば,一言の助言で苦境から救い出すことができる。これもまた,計り知れない善行である。」
146「自ら反省できる者は,すべての出来事が良薬となる。責任転嫁する者は,その思いが凶器となり自らを傷つける。前者は善行への道をひらき,後者は悪事の源となる。両者には天と地ほどの差がひらく。
165「他人の過ちは寛大に許すべきでが,自分の過ちにはあくまで厳しくありたい。自分の苦しみには耐え忍ぶべきだが,他人の苦境を見逃してはならない。」
214「真剣に書物を読むなら,喜びで小躍りしたくなるまで読みこめ。それでこそ文字面にとらわれずに神髄を摑める。真剣に物事を観察するなら,精神がそれと一体になるまで観察し尽くせ。それでこそ表面に惑わされずに真相を悟れる。」